スピアン・プラプトス遺跡とは
About Spean Praptos Remains
シェムリアップから東へ約60キロ離れたコンポン・クディという町に、12世紀末~13世紀初頭に建造された石橋があります。チカレン川にかかるその橋がスピアン・プラプトスです。
現在残っている同時期に造られた石橋では東南アジア最大級と言われ、建築文化遺産としても価値があります。
「方向を告げる橋」という名前の由来どおり、当時のスピアン・プラプトスはアンコール・ワットやアンコール・トムから南東へ向かう幹線道路にかかる橋でした。
この幹線道路は「王の道」と呼ばれ、その王とは城壁都市アンコール・トムを完成させたジャヤーヴァルマン7世のことです。
2006年に自動車用の迂回路が造られたため交通量こそ少ないものの、スピアン・プラプトスは今でも国道6号線として人々の生活に利用されている橋です。
町の名前にちなみ今は「コンポン・クディ橋」とも呼ばれています。
砂岩とラテライトで造られた赤土色の土埃が舞うような道ですが、欄干の両側には蛇神ナーガの彫刻があり、まるで今この橋を護っているかのようです。
このナーガは約2メートルもの大型で、最大級の9つの頭を持つ姿で造られています。
スピアン・プラプトスは日本ではあまり知られておらず、ガイドブックなどにも記載がないような小さな遺跡です。
シェムリアップから国道6号線をプノンペン方面へ車で1時間ほどの場所にあり、個人で見学に行くことも可能ですが、オプショナルツアーなどでプレ・アンコール時代の遺跡群「サンボー・プレイ・クック」へ向かう途中に立ち寄るコースが一般的でしょう。
スピアン・プラプトスの歴史と見所
スピアン・プラプトス橋が建設された12世紀~13世紀は、アンコール・トムを完成させた王、ジャヤーヴァルマン7世の時代です。
クメール王国に平和と繁栄をもたらせた偉大な王として現代でも人気を博し、数々の偉業を遂げた人物と言われています。
1181年にジャヤーヴァルマン7世が即位する前のアンコール王朝は、現在のベトナム中部沿海地方にあたるチャンパ王国に侵略され、9世紀末から創建されてきた王都ヤショダラプラが破壊されていました。
ジャヤーヴァルマン7世の攻勢でチャンパ王国は1190年に降伏撤退します。
しかし、12世紀から13世紀のクメール王国は、しばしば他国との戦争や内乱にも悩まされていたようです。
戦術にも長けたジャヤーヴァルマン7世の軍隊は、12世紀末には現在のタイ東北部からラオス、ベトナムの辺りまで領土を広げ、クメール王国の最盛期ともいえる時代を迎えます。
ジャヤーヴァルマン7世の偉業は国土の拡大だけではありません。
アンコール王朝初の大乗仏教を信仰する王であった彼は、「信仰によって誰でも救われる」いう考えから信仰によって国の復興を目指し、アンコール・トムのバイヨン寺院、母のための仏教僧院タ・プローム、父の菩提寺で仏教を学ぶ場所でもあったプリヤ・カーン、仏僧の住居タ・ソムなど、多くの寺院や伽藍を創建しました。さらに首都を中心として放射状に道路や橋、宿駅の整備を郊外まで行い、商業・流通の発展にも貢献しました。
灌漑・治水工事により農業が栄え、病院の設置や薬の供給など、慈善事業を行いクメール王国に平和と繁栄をもたらしたのです。スピアン・プラプトスもジャヤーヴァルマン7世の時代に造られた石橋です。当時の王都 アンコール・トムから約70キロ離れていますが、南東にまっすぐ伸びる国道6号線上にあります。当時はこの道は「王の道」と呼ばれていたそうです。
現在も現役
側道も石造り
乾季は川も細くなります
スピアン・プラプトス橋は、クメール王国がジャヤーヴァルマン7世の下で最も繁栄していた、12世紀末~13世紀初頭にかけて造られました。
トンレ・サップ川と合流するチカレン川にかけられた全長87メートル、20の橋脚を持つ石橋です。現在でも人々の生活に使われているこの橋は、乾季には水がほとんど干上がってしまうこともありますが、雨季には洪水にならないようにトンレ・サップ川に合流する水門を閉じて水量が調節されています。
完成当時のクメール文化にはアーチ橋の建築技術がなかったため、同時期に創建された寺院の屋根に用いられているような迫り出し式の建築方法で造られました。迫り出し式とは、石材を少しずつ内側にずらして積み上げ、最後に中央で合わせる施工技術です。
砂岩とラテライトを材料に造られていて、その砂岩はアンコール・ワットやバイヨン寺院と同じようにプノン・クーレン山麓から切り出されたものと言われています。
プノン・クーレンは良質な砂岩でできた連山であるだけではなく、802年にジャヤーヴァルマン2世が即位したアンコール王朝発祥の場所です。王は神格化され、この山は「マヘンドラ・パールヴァティー(最高神インドラ神の山)」と言われました。雨季は川の増水を利用し、乾季は象に引かせて砂岩を運んだそうです。
橋の両サイドには欄干があり、それぞれの端は高さ2メートルものナーガの彫像で飾られています。ナーガはインド神話がルーツで、毎年脱皮をすることから不老不死のシンボルと崇拝されている蛇神です。
人間界と神々の世界(天上界)をつなぐ虹の架け橋であるとも言われ、参道にナーガの彫像を設置している寺院も多く見ることができます。
迫り出し式の建築方法
水辺の守護神、ナーガ
砂岩とラテライトの色
また天地創造の物語では、阿修羅と神々がナーガの頭と尾をつかみ乳海を撹拌するための大綱として使われたり、ヴィシュヌ神がナーガの王、アナンタの上で眠る姿がヒンドゥー教のモチーフでは良く用いられています。
水や雨と関係もあり、海、湖、井戸など水辺の守護神や、土着神とも言われ、ナーガの彫像やレリーフはアンコール遺跡群のあらゆる場所で見ることができるのです。
スピアン・プラプトス橋のナーガは9つの頭をもたげています。ナーガの土台にも5つの頭のナーガがいて、これほどまでにはっきりとナーガの頭が確認できる彫像は貴重です。
ナーガの頭は5、7、9と奇数であることが一般的ですが、スピアン・プラプトスのナーガのように9つの頭を持つ彫像は、非常に重要な意味があったと考えられています。
スピアン・プラプトス遺跡の場所(Google MAP)
シェムリアップから東へ約60キロ、車で1時間ほどの田園地帯の中にあり、車の通行はできませんが、今でも人々の日常生活に使われている橋です。
町の名前からコンポン・クディ橋とも言われています。
ロリュオス遺跡群から国道6号線を約50キロ進んだこの辺りまでには、同じような古い石橋が10基ほど残されていますが、現在は保護のため車両の通行は禁止され迂回路が造られています。
スピアン・プラプトス自体の見どころは多くはないので、ゆっくり見学しても15~20分で済むでしょう。サンボー・プレイ・クック遺跡群への観光ツアーの途中に立ち寄ると、効率が良くおすすめです。