プノン・クーレン遺跡とは
About Phnom Kulen Remains
アンコール発祥の地と言われるプノン・クーレンは、シェムリアップの北東約40キロ、アンコール・ワットからは約30キロの場所にある「ライチの山」を意味する山岳地帯の総称です。
それはカンボジア・タイ・ラオスの3つの国境付近にあるダンレク山地の南に連なる山脈で、高さ400メートルほどの砂岩でできた山中に寺院や川底の水中遺跡が点在しています。
インドネシア・ジャワに栄えていたシャイレーンドラ朝シュリーヴィジャヤ王国からの独立を図るため、802年にジャヤーヴァルマン2世がプノン・クーレンにバラモン僧を招いて即位式を挙げました。
これがアンコール王朝の始まりと言われています。山中には「偉大なるインドラ神の山」を意味するマヘンドラパルバタを建設したと伝えられていますが、その都市の詳細は未だ不明です。
クレーン山遺跡群には50以上の彫像や彫刻、寺院が眠っていると言われていますが、観光客が利用する一般的なルートの外には地雷が残り、毒蛇もいる山中なので単独行動は危険です。
山中は人も少なく治安が心配され、またシェムリアップからデコボコ道を通って2時間近くかかる郊外にあるのでガイド付きツアーを強くおすすめします。
なお、アンコール・パスでは入山できず、別途入場料が必要です。
プノン・クーレンの観光では、川底に彫られたヒンドゥーの神々や、千体リンガ、僧院プリア・アン・トンの岩に彫られた涅槃仏などが見どころです。
滝壺や川で水遊びをしている地元の人たちはラフな服装ですが、山中をトレッキングするため登山に適した服装を準備してください。
プノン・クーレンの歴史と見所
プノン・クーレンは現在のカンボジアでも聖なる山と言われ、ヒンドゥー教徒や仏教徒が巡礼に訪れる場所です。
ここは古代クメール王朝発祥の地として、アンコールの歴史には欠かせない重要な意味を持っています。
中国の書物によると、カンボジア国家の起源と言われるチェンラ(真臘)王国が古代クメール人によって6世紀頃に建国されました。
7世紀にはフナン(扶南)王国を滅ぼし、ジャヤーヴァルマン1世の時代には現在のカンボジアとラオス南部のメコン川流域を広く領土にしていたと言われています。
しかし、ジャヤーヴァルマン1世の没後は内戦によって国が北と南に分裂し、その南側は8世紀に現在のインドネシアのシャイレーンドラ朝シュリーヴィジャヤ王国の支配を受けるようになりました。
このジャワ王国の支配から独立した王がジャヤーヴァルマン2世です。
802年、ジャヤーヴァルマン2世は聖なる山 プノン・クーレンで神王として即位し、シュリーヴィジャヤ王国からの独立を宣言してクメール王国が誕生しました。
これがアンコール王朝の始まりです。
当時はバラモン教が主流でしたが、それにインド神話や信仰が合わさり古代ヒンドゥー教へ進化し、リンガ崇拝も活発になっていきました。
1181年にジャヤーヴァルマン7世が初の仏教徒の王となるまで、クメール王国は開国以来ずっとヒンドゥー教を信仰する王たちの国だったのです。
このプノン・クーレンにも数々のヒンドゥー教のモチーフやインド神話のレリーフをみることができます。
また、聖なる山と言われ複数の王によって異なる時代に寺院などが建設されていきました。
涅槃仏を祀るプリア・アン・トムはアンコール王朝滅亡後の16世紀に、アンチェン1世により造られたものです。
なお、アンコール王朝の滅亡後のカンボジアは様々な国に支配されましたが、1975年に悪名高いポル・ポト政権が影響力を持つと、1979年に最後を迎えるまで武装勢力クメール・ルージュがプノン・クーレンの麓を占領していた場所としても知られています。
古代クメール王朝発祥の地
インド神話のレリーフ
苔に覆われた遺跡たち
プノン・クーレンで最も一般的な見学ルートは、チケットチェックポイントから左右に約1キロのエリアにあります。
クーレン山に登る道は車がすれ違うことができないほど狭い箇所が多いため、正午までは入山専用、12時以降は下山専用道路になるので注意が必要です。
また、ルート内は観光客も多く、道は整備されていますが、ルート外には撤去されていない地雷が残り、毒蛇も住んでいるので、森の中に入りこまないよう、単独行動は避けガイドと同行してください。
顔を削られたレリーフ
多くが森に埋もれている
可愛らしい動物の石像
チェックポイントから右側、川の上流へ約1キロほど行くと、川床に広範囲にわたりたくさんのリンガが彫られている場所があります。
それはリンガ・ムイポアン(千体リンガ)と呼ばれており、川底のリンガの上を流れる川の水は聖水に変わり、聖山クーレンからアンコールへ流れていくと考えられていました。
ジャヤーヴァルマン2世がこのリンガの川で沐浴した神聖な場所です。
リンガとはヒンドゥー教の寺院で良く見られる男性器を表す円柱のモチーフで、ヒンドゥー3大神の一人、破壊と再生を司るシヴァ神の象徴です。リンガは女性器を意味する四角い台座、ヨニの上に立てられたセットになっていることが多く、ヨニの上の溝から北側に向けて聖水を流し豊穣多産の儀式が行われたそうです。
川のせせらぎの中に、四角の中に丸が入ったヨニとリンガの形がいくつも並んでいる姿を鑑賞するには、7~8月が最も良いと言われます。
水量や水の透明度は季節によって大きく変わるため、雨季には水が濁り、乾季には少ない水の中で川床が美しくありません。
リンガ・ムイポアンを過ぎてさらに奥へ進むと、巨大な岩の上に建物が見えます。それは16世紀頃に建てられた仏教寺院プリア・アン・トンです。
この寺院はそそり立つ巨大な一枚岩の上に建立されていて、その頂上には全長約9.4メートルの黄金色の涅槃仏があります。
この仏像は後から安置されたものではなく、同じ巨岩の最上部を彫って作った磨崖仏です。
この寺院では現在でも僧侶が修行しており、カンボジア全土から人々が集う巡礼地となっています。
像のモチーフが可愛らしい
苔が独特の雰囲気を醸し出す
TNKトラベルのスタッフが視察へ
参道からは涅槃仏まで階段が続いていますが、この階段は裸足でのぼらなくてはなりません。階段の下では現地の子どもたちが、わずかなチップで参拝客の靴と靴下を守っています。
プリア・アン・トンのさらに奥、深い山の中には埋もれた寺院や彫像、奇石などが50か所以上もあるクメール山上遺跡群があり、中でも人気があるのは等身大の巨大な象の彫像、スラードムライです。
これらは涅槃仏同様に一枚岩から掘り出したもので、密林の中に佇む高さ3メートル、体長6メートルのアジアゾウの姿には驚かされるでしょう。
ただし、森の奥深い場所にあり、地雷が埋まる地域であるため、決して個人で行ける場所ではありません。
涅槃仏を見学した後は、チケットチェックポイントの方へ元の道を戻ることが一般的です。
その先には食堂や屋台などが並ぶ駐車場があり、その近くの川の中には岩に彫られたヴィシュヌ神とブラフマー神の姿を見ることができます。
コケと葉にむもれる動物の像
聖水となった水が流れ落ちる
山道を進みます
ヒンドゥーの三大神の一人で宇宙を創造したブラフマー神は、救済と恩恵の神 ヴィシュヌのヘソから蓮の花が咲き、その花弁から生まれたというエピソードが有名ですが、プノン・クーレンの川の中にもそのモチーフが刻まれています。
その一帯は王の沐浴場であったそうです。
その先には小さな滝があり、さらに進むと落差20メートルほどの大きな滝があります。
その滝壺はプールのようで、今では地元の人々や観光客の水遊びの場所になっていて、上流のリンガの上を流れ聖水となった水が流れ落ちる様は清々しく、格好の休憩ポイントです。
プノン・クーレン遺跡を見学出来るツアーのご紹介
プノンクーレン山トレッキング+魅惑のベンメリア1日ツアー
【グループ・混載ツアー】ツアーの魅力と見所:
プノンクーレンは、シェムリアップからは北東の位置にある川に沿った遺跡で、車で1時間ほどで着きます。プノンクーレンとはクメール語で「ライチの山」という意味で、その名の通りあちらこちらにライチの木が育っています。
高さ400mの砂岩でできた山が、北西から南東の方角にかけて続いており、そこに流れる川に沿って遺跡が作られています。神聖な場所に神を祀りたかった人々は、川の中に神像を造り、水の流れを通じて神々のパワーが多くの人に行き渡るようにという思いがあったからと言われております。
プノン・クーレンの場所(Google MAP)
アンコール遺跡群の中でもかなり郊外に位置し、シェムリアップ市街からは約40キロ、車で2時間位かかる場所にありますが、カンボジア人にとっても聖なる場所と言われており、各地から巡礼者が集まっています。
「東洋のモナ・リザ」と呼ばれるデバターで有名な寺院、バンテアイ・スレイからは約15キロほど離れた位置になり、プノン・クーレン、クバール・スピアン、バンテアイ・スレイを組み合わせた郊外観光コースなどが利用しやすく効率的です。
何よりもプノン・クーレンの山中にはまだ地雷が残されていて、山中には毒蛇やそこで生活する現地の村人もいるので、ガイドの同行がなければ危険と言っても過言ではありません。
プノン・クーレンの山道は細く車がすれ違うことができない場所もあるため、観光には時間制限が設けられ、正午を過ぎると車での入山はできなくなり下山専用道路になります。
市街からクーレン山に向かう道もかなりひどいデコボコ道で、山中にも太い枝を渡しただけの橋や岩場など足元が危ない箇所があるので、シニアやお子様連れには不向きかもしれません。
登山に適した服装を準備してください。