ロリュオス遺跡群(ロレイ、プリア・コー、バコン)とは
About Roluos temples・Lolei・Preah Ko・Bakong Remains
アンコール王朝創始後、新しい王都の首都「ハリハラーラヤ」があった場所がロリュオス遺跡群です。
シェムリアップ市街から南東に約13キロ、車では20~30分の距離にあるこの遺跡群には、1000年以上も前のヒンドゥー教のモチーフやアンコール遺跡最古と言われる寺院が残っています。
ハリハラーラヤは、アンコール王朝3代目となるインドラヴァルマン1世が創建したと言われることが一般的ですが、初代王ジャヤーヴァルマン2世が基礎を築き、4代目のヤショーヴァルマン1世もその完成に携わっています。
889年にヤショーヴァルマン1世が、プノン・バケンの周辺「ヤショーダラブラ」へ首都を移すまでの約100年間、首都として使用された場所です。貯水池の建設や祠堂に施された精巧なレリーフより、当時から治水・灌漑工事を重要視した高度な建築技術を用いて造られたこともわかっています。
ロリュオス遺跡群は最古の寺院と言われる「プリア・コー」、アンコール・ワットの原型「バコン」、東西メボンの原型「ロレイ」の3か所が見ごたえもあり、観光用にも整備されています。
その他には「プラサット・プレイモンティ」、「トトントガイ」、「トラッピアン・ポン」などの寺院遺跡がロリュオス遺跡群に含まれますが、破損がひどく残された遺跡は小さい規模です。
どの寺院も互いに遠くはない位置関係にあるので、トゥクトウクを利用して一度に周ることは難しくありません。
ロリュオス遺跡群(ロレイ、プリア・コー、バコン)の歴史と見所
アンコール王朝の始まりは、プノン・クーレンの丘陵でジャヤーヴァルマン2世が即位式を行った802年に遡ります。それ以前のカンボジアの歴史は、交易を行っていた中国人の貿易商や外交官の紀行日誌などに残された書物や、わずかに残っていた碑文から研究されたもので、中国で真臘(チェンラ)と呼ばれていた国が一帯を統治していました。
7世紀の真臘国はインドシナ半島南部にあったという扶南国を吸収し領土を拡大すると、イシャーナヴァルマン1世が首都をイシャナープラに定め新たな王都を創建します。
これが現在ではシェムリアップとプノンペンのちょうど中間にあたる場所にある、サンボー・プレイ・クック遺跡群です。
イシャナープラは当時の中国・唐の僧侶による見聞録にも「伊賞那補羅國」と記されており、国外にも知られるほど栄えた貿易国であったようです。
しかし真臘国は大きくなりすぎて内戦が絶えず、8世紀初頭には北部の「陸真臘」と南部の「水真臘」に分裂してしまいます。
真臘国が内乱で混乱すると、774年頃よりシャイレーンドラ朝シュリーヴィジャヤ王国による侵略が始まり、クメール国王が殺されてしまうのです。
シャイレーンドラ朝はインドネシアのジャワ島を中心に東南アジアで栄え、真臘国を属国にした約20年後には世界最大級の仏教寺院 ボロブドゥールを創建するほどの高い技術を持った国でした。
その頃ジャワに派遣されていた王族の一人、ジャヤーヴァルマン2世が急遽帰還し、南北に分かれていた真臘を再統一し、802年の新王朝創設に至るのです。
ここまでの歴史は「プレ・アンコール時代」と一般的に呼ばれています。
アンコール王朝の創始者ジャヤーヴァルマン2世が新王国の礎を築き、インドラヴァルマン1世が造り上げた都がハリハラーラヤです。
ハリハラーラヤは、ヒンドゥー教の最高神の一人であるヴィシュヌ神とシヴァ神が左右半々に合体した神「ハリハラ」がその名前の由来と言われており、造られた寺院もヒンドゥー教をベースにしたものでした。
デバター像で有名なロレイ遺跡
ロレイ遺跡の美しいデバター
ロレイのプレア・コー遺跡
プレ・アンコールの最後、シャイレーンドラ朝に支配されていた8世紀末は、彼らの影響で大乗仏教が真臘国にも入ってきましたが、アンコール王朝創始により再びクメール人の信仰はヒンドゥー教に戻ったのです。
ハリハラーラヤの寺院は8世紀末から9世紀初頭に建てられたものがほとんどです。
現存するロリュオス遺跡群の中ではロレイ寺院の創建がハリハラーラヤ最後の建物と言われており、ヤショーヴァルマン1世によって寺院が完成すると、首都が「ヤショーダラブラ」に変わり現在のアンコール・トムに近いエリアに遷されました。
尚、ハリハラーラヤで造られた寺院はその後も大切にされたことがわかっており、中でも国家寺院のバコンは12世紀~13世紀頃に増築された形跡も残っています。
現代のロリュオス遺跡群のいくつかの寺院には現代仏教の僧院が建てられており、人々の信仰の場として今でも利用されています。
プリア・コー遺跡
三叉の矛を持ったドヴァラパーラ
バコン遺跡の正面
ロリュオス遺跡群の一番の見どころは、なんといてもバコンでしょう。
881年、インドラヴァルマン1世がシヴァ神を主としたヒンドゥー教の神々に捧げて造った国家寺院で、東西約900メートル、南北約700メートルの大きさはロリュオス遺跡群で最大且つアンコール王朝初のピラミッド型寺院でもあると言われています。
バコン内部は、中央祠堂がラテライトで造られた3つの周壁で囲まれています。東西には塔門があり、塔門の内側と外側のそれぞれに天地創造の海をイメージさせる環濠が造られ、中央祠堂をメール山(須弥山)に見立てていたと言われていますが、今では周壁も環濠もその跡を残すだけです。
しかし祠堂に残されている阿修羅のレリーフや、参道の蛇神ナーガ、基壇に狛犬のように設置されたシンハ(獅子)像などは意外にも良い状態で残されています。
特に7つの首を持つナーガが地を這う姿の欄干は、アンコール王朝最古のものと言われており、精巧な技術を近くで見ることができる貴重な彫像です。
彫刻が見事な遺跡群
手前に聖牛ナンディン
細かい装飾で有名
バコンの中央祠堂は、レンガの基盤が5層になってピラミッド型に造られている初期クメール建築の貴重な山岳型寺院ですが、その登頂部は12世紀頃に造設されたものです。
中央祠堂の周囲には8基の祠堂があり、これらの偽扉やまぐさ石、柱にも繊細なレリーフが残されています。
バコンからトゥクトウクでも5分位の場所に位置するプリア・コーは、ハリハラーラヤで最初に造られた寺院で、アンコール遺跡最古の寺院としても知られています。
インドラヴァルマン1世が祖先を祀るために879年に建立しました。
元々の寺院の名はシヴァ神を意味する「バラメシュヴァラ」でしたが、寺院に祀られていた聖牛ナンディンに由来し、「聖なる牛」という意味の「プリア・コー」に変わったと言われています。
バコンの参道
デバター像が壁に埋め込まれている
遺跡までの参道
ナンディンはシヴァ神の乗り物で、シヴァのために音楽を奏でる乳白色の牝牛です。
すべての四足動物の守護神ともいわれ、プリア・コーの祠堂に向かってシヴァを待つかのようなナンディンの彫像が3体並んでいます。
今は崩壊していますが、東西500メートル、南北400メートルの環濠が寺院を囲み、内部にはラテライトで造られた2重の周壁と6つの祠堂があります。
祠堂は砂岩やレンガで造られていますが、当時はその上に真っ白な漆喰を施した姿だったそうです。白く輝く祠堂と、水が湛えられた環濠に青い空や寺院が映し出されるプリア・コーは、さぞ荘厳な姿であったことでしょう。
手前の祠堂は左からインドラヴァルマン1世の父、先代の国王、母方の祖父がそれぞれシヴァ神と合体した神の姿で祀られており、その後ろはそれぞれの妻のための祠堂になっています。
祠堂の内部は崩れていますが、外壁やまぐさ石を飾るレリーフは精巧で、美しく見ごたえのあるものばかりです。
特に手前左右の祠堂は、戸口を守ると言われるカーラとナーガに乗った神々のレリーフが残るまぐさ石や、ドヴァラパーラ(門衛神)の彫像、偽窓などが保存状態も良く残されています。
シンハ(獅子)像
バコン遺跡の頂上からの写真
バコン遺跡の蛇神ナーガ
プリア・コーから更にトゥクトゥクで5分位の距離にロレイ寺院があります。
ここはかつてインドラカタータと呼ばれた大きなバレイ(貯水池)があり、その中央の島に建設されていた寺院です。
アンコール遺跡群の東メボン・西メボンの原型とも言われていますが、バレイはすっかり涸れています。
インドラヴァルマン1世がハリハラーラヤを造る際に、最初に着手したのがインドラカタータの建設、即ち治水・灌漑工事であったと言われています。
その貯水池に建設されたロレイは、池をインド神話の天地創造の物語「乳海撹拌」が起こった海に見立て、寺院は神々が住むメール山(須弥山)に模して造ったそうです。
ヤショーヴァルマン1世が、父王や祖先を祀るために893年に完成させました。
ロレイには四角に並んだ4基の祠堂と船着き場の跡が残っています。
シンハ(獅子)像が塔を守る
神々の美しい彫刻
3つの頭のナーガに乗る戦士・騎手・カーラ
各祠堂の間には、中央に配置されるように十字に交差する溝形の樋があり、更にその中心にはシヴァ神の象徴であるリンガが設置されています。
リンガの上に聖水をかけ、樋を伝って聖水がインドラカタータの貯水池へ流れる仕組みです。
南側の祠堂はかなり崩壊していますが、北側の2基は壁のレリーフやドヴァラパーラ、デバターの彫像が美しく残されています。
特に北西の祠堂のまぐさ石には、インド神話に登場するナーガやマカラと共に神々が細密に彫られていて必見です。
ロリュオス遺跡群を見学出来るツアーのご紹介
【貸切】欲張りなあなたに!バンテアイスレイ・ロリュオス・クバールスピアン郊外3大見所ツアー
【プライベート・貸切ツアー】ツアーの魅力と見所:
「東洋のモナリザ」と呼ばれる美しいデヴァター像で有名なバンテアイスレイ、「川の源流」という意味を持つ水中のレリーフが美しいクバールスピアン、アンコールワットが築かれる前の王都ロリュオスこの3つのスポットはアンコールワットの共通入場券で訪れることが出来ます。
ロリュオス遺跡群はアンコールワットが建立される前に建てられた王都です。
ロレイ、プリアコー、バコンの3つの遺跡が有名です。
欲張りなあなたにオススメ!バンテアイスレイ・ロリュオス・クバールスピアン郊外3大見所ツアー
【グループ・混載ツアー】ツアーの魅力と見所:
王都がアンコール地域に移るまでは、このロリュオスに王都が築かれていました。
790年頃にジャヤヴァルマン2世によって礎が築かれ、インドラヴァルマン1世が王都としての造営を担いました。
メール山を模したバゴンを中心に、王の両親にささげた寺「プリア・コー」、大貯水池インドラタターカの中央には「ロレイ」が建てられています。
ロリュオス遺跡群の場所(Google MAP)
シェムリアップ市街より南東に約13キロ、車で20~30分の距離にロリュオス遺跡群があります。
それぞれの遺跡は近接しており、半日もあれば全て観光することが可能です。アンコール王朝のルーツを探る遺跡としてオプショナルツアーなどでも人気があります。
ロリュオス遺跡群の寺院跡には現代仏教の僧院が建てられ、今も地元の人々の信仰の場として利用されており、敷地内では僧侶の姿を見かけることが多々ありますが、やはり明るいうちの観光が安全です。