ミンマン帝廟
Minh Mang Tomb
グエン王朝の二代目皇帝ミンマン帝。在位期間は1819~1841年。
欧米文化を嫌い、キリスト教を始め欧米の廃絶に務めた皇帝として知られています。
ミンマン帝は儒教を重んじており、中国の清と深い関わりと持った皇帝です。中国の文化や政治を積極的に取り入れました。
グエン王朝に繁栄に貢献したミンマン帝の思想は、その帝廟からも伺えます。広大な敷地には整列された建造物がたくさん。見ごたえのある帝廟となっています。
ミンマン帝廟の歴史と見どころ
ミンマン帝は、初代皇帝ザーロン帝の4番目の子どもとして生まれました。ザーロン帝は西洋文化も取り入れた政治を行っていましたが、ミンマン帝は真逆で西洋文化を嫌っていました。
もともと中国の文化や儒教を重んじていたため、ミンマン帝が皇帝に就くと、交易に訪れる欧米人を拒絶。さらに西洋文化を廃止しキリスト教を弾圧します。この政策は、日本の鎖国時代を思い浮かべてもらうとわかりやすいです。
キリスト教を弾圧された信者は、やがて山岳地帯に逃れたといわれています。さらに、1836年には、欧米から宣教師としてやってきた7名を処刑しました。
このような事件を起こしたミンマン帝は、欧米に対して閉鎖的な態度が原因でフランスから占領されるきっかけを作ったといわれています。
欧米には閉鎖的だったミンマン帝ですが、その反面、周囲の国への侵略は積極的でした。隣の国カンボジアへは軍事遠征を行いますが、失敗に終わります。
また、当時ベトナムの地は少数民族が多くいました。とくに山岳地帯で暮らしている少数民族に対しては、グエン王朝とのまとまりを強化するようはかったといわれています。
すべての建築は一直線に並ぶ
王宮と同様に黄色の建物が多くみられる
欧米への扱いとは逆に、中国の清だけは特別でした。清の政治や文化を尊重していたミンマン帝は、両国で強いつながりを持っていたことで有名です。
そのため、ミンマン帝時代に建てられた建造物は中国色の濃いものとなっています。
中国の影響を受けたミンマン帝はあるものを取り入れました。
ザーロン帝のときからあった官吏登用試験ですが、ミンマン帝はより優秀な人材を身近に置くため、殿試という制度を導入。
殿試とは、現代でいう面接のようなものです。登用試験をパスした官吏を、最終的に皇帝の前で試験を行わす制度です。ただし殿試は不合格者を出す試験ではなく、官吏の順位を決めるだけのものでした。
この殿試は、中国の明や清で取り入れられた制度でミンマン帝も中国に倣ったようです。
ミンマン帝廟の着工は1840年に始まりました。しかしその翌年1841年、ミンマン帝が急死。建設途中だった帝廟は、3代目皇帝ティエウチ帝によって3年かけて完成しました。
中国を愛したミンマン帝らしく、帝廟も中国様式をふんだんに使った造りです。ミンマン帝廟は城壁に囲まれており、その周囲は1750mもあります。広大な敷地には、まっすぐ伸びる参道に並ぶように主要な建物が配置されているのも特徴です。
ミンマン帝廟の敷地に入ると整列された建造物にも圧倒されますが、整備された池や庭もおすすめです。まるで公園のように居心地がよく、フエ王宮の遺跡群のなかでもくつろげるスポットとなっています。
余談ですが、ミンマン帝には500人以上もの側室がいたといわれています。ミンマン帝の死後、その側室たちが皇帝の墓に寄り添いながら暮らしていたという逸話が残っています。
ミンマン帝廟を見学出来るツアーのご紹介
貸切!フエ市内1日プライベート観光ツアー
ツアーの魅力と見所:
見どころが多いフエだからこそおすすめの自分のペースで周れる貸切ツアー。
グループツアーでは2か所しか周れない帝廟をミンマン帝廟を含めた3か所周るのも貸切ツアーの特権。
また、他のツアーとは違い、昼食をフエの宮廷料理にアップグレードすることもできます。
ベトナム広しと言えど、伝統的な宮廷料理が残っているのはここフエだけ。フエでとれる食材を使った、王朝時代より伝わる宮廷料理をお召し上がりいただけます。
ミンマン帝廟のおすすめスポット
ミンマン帝廟は城壁に囲まれており、どの帝廟よりも整った構成となっています。門をくぐればまっすぐに参道や拝庭が広がり、見学しやすくなっています。
① 大紅門
3つの入り口があり、左右が観光客用として使われています。この大紅門は、ミンマン帝の遺体を運んだときだけ開かれ、それ以降、中央の入り口は閉鎖されたままです。
② 碑亭
ミンマン帝の功績が書かれている碑石が置かれている場所です。碑石は、通常次の皇帝が書きます。この碑石は3代目皇帝ティエウチ帝が書いたものです。
③ 顕徳門
礼拝堂に続く前門です。先ほどの大紅門同様、中央の入り口は皇帝専用のため、現在も閉鎖されています。
④ 崇恩殿
ミンマン帝の礼拝堂(または寝殿)です。内部にはミンマン帝と皇后の位牌が祀られています。
⑤ 明楼
崇恩殿の奥にある楼閣です。内部にはミンマン帝が使用したとされる寝台が置かれています。この寝台は、陰暦(日本でいう旧暦)14日になるとミンマン帝が戻ってきて寝台で休むという言い伝えが残っています。
⑥ 墓所
ミンマン帝の墓所の前には、一直線に伸びる橋と池で構成されています。墓所が古墳型になっているため中には入れませが、入り口前の門までは登ることができます。
ミンマン帝廟遺跡の見学ワンポイントアドバイス
ミンマン帝廟の城壁の周りには現在、民家が建ち並んでいます。ミンマン帝廟を回るときは、庶民的な生活ぶりも一緒に見学してみてください。 綺麗に舗装された遊歩道は、公園を散策しているかのような気分に浸れます。ミンマン帝の墓所の前には三日月形の池がありますが、この三日月形は皇帝の崩御を表しているそうです。 詩文を愛したミンマン帝らしく、美しい詩文の彫刻が約600点掘られています。顕徳門や崇恩殿、明楼にあるので、詩文にも注意しながら見学してみてください。
池の周りを散策するのもおすすめ
屋根などにも詩文を見つけることができる
ミンマン帝廟遺跡の場所(Google MAP)
フエ中心部から車で20分ほど離れた場所に位置しています。
周辺の帝廟と併せて自転車をレンタルして訪れる人も多いです。
フエのフバイ空港から向かう場合も約20分ほどかかります。フエ駅は市内中心部にあるため、同様に20分ほどの移動で訪れることができます。