ザーロン帝廟
Gia Long Tomb
グエン王朝の初代皇帝ザーロン帝。在位期間は1802~1819年。
もともとベトナム中部から南部を支配していた広南阮の末裔です。広南阮は西山朝により滅ぼされましたが、唯一生き残ったザーロン帝が奪還を果たしフエの地にグエン王朝を築きました。
ザーロン帝廟は初代皇帝とだけあって、広大な敷地です。ベトナム戦争の被害を受けており修復作業が継続されています。
ザーロン帝廟の歴史と見どころ
1762年にザーロン帝は産声を上げました。当時はベトナムの中部から南部を支配していた広南阮という国があり、ザーロン帝はその子孫です。
広南阮は約200年も続いた政権でしたが、当時中国の清の干渉もありました。そのことをおもしろく思っていなかったのが、現在のビンティン省タイソン出身の「阮岳」「阮侶」「阮恵」の3兄弟です。このタイソンに拠点を置いていた兄弟は、西山党を結成し勢力しました。
西山党が1771年に西山の乱を起こし、この戦いによって広南阮は滅ぼされます。その代わりに西山党が政権を握るようになりました。
このとき唯一生き残ったのがザーロン帝です。ザーロン帝はシャム(現在のタイ)に逃れ、その後シャムの援助を幾度も受けるようになります。
政権を奪還したかったザーロン帝は、シャムの支援を受け1785年にソアイムットの戦いと呼ばれる戦いを西山党に仕掛けますが敗戦に終わりました。
階段に施された龍の装飾も見どころ
戦争の影響もあり多くは残っていない
その後、ザーロン帝の人生の転機となる出会いがありました。宣教師としてベトナムに滞在していたフランス人ピニョー・ド・ベーヌとの出会いです。
ピニョー・ド・ベーヌはザーロン帝の力になりたいとあらゆる手を尽くしてくれました。フランスの軍事技術を教えたほか、一緒にフランスに渡航しルイ16世とベルサイユ条約を締結させます。
このおかげでザーロン帝は、奪還に向けて動き出しました。西山朝を倒すため、フランスやカンボジアなどから兵士を集め攻撃を開始。現在のホーチミンからフエへと攻略を進めていきました。
そして1802年、西山朝の最後の皇帝を滅ぼしグエン王朝を再興したのです。皮肉なことに、これが後のフランスの植民地支配への大きな足がかかりとなります。
ザーロン帝は初代皇帝の座に就き、一世一元の制度を導入。一世一元とは、日本のように君主ごとに年号を定める制度です。また広南だった国名も変更することに努めました。当時信頼を寄せていた清に「南越」という国名を認めてもらうよう要求しましたが、清からは「越南」という国名を与えられます。
なぜ「越南」にしたのかというと、「南越」は南の地の天下を支配しているという意味があり、清の皇帝がそれを嫌っていたという理由からだそうです。この「越南」の国名を与えられたことにより、「ベトナム」という国号が正式に生まれました。
ザーロン帝は崩御するまでの16年間、新王朝のために清にならって国内制度を整備しました。
初代皇帝というだけあり、ザーロン帝廟はほかの帝廟の5倍もある敷地に作られています。ベトナム戦争で激戦区だったこともあり、ザーロン帝廟も大きな被害を受けました。
懸命な修復作業が続けられていますが、修復完了には時間がかかるといわれています。
ザーロン帝廟を見学出来るツアーのご紹介
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ツアーの魅力と見所:
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グループツアーでは訪問場所は選べませんが、自由に訪問場所をアレンジできるのが貸切ツアーの特権です。
また、他のツアーとは違い、昼食をフエの宮廷料理にアップグレードすることもできます。
ベトナム広しと言えど、伝統的な宮廷料理が残っているのはここフエだけ。フエでとれる食材を使った、王朝時代より伝わる宮廷料理をお召し上がりいただけます。
ザーロン帝廟のおすすめスポット
ザーロン帝廟は約6年をかけて1820年に完成しました。1820年は、ザーロン帝が死去した年です。本来であれば死去する6年も前から着工しませんが、1814年にザーロン帝の皇后が死去しました。 このことがきっかけで、ザーロン帝廟の建設が開始されたといわれています。
① 明成殿
ザーロン帝の寝殿および礼拝堂です。ここにはザーロン帝と皇后の位牌が祀られています。ちなみにザーロン帝には2人の皇后と19人の側室がいました。
清の建築様式を参考に建てられた明成殿は、初代皇帝らしく朱色と金色の豪華な作りとなっています。装飾も見事なので、くまなく鑑賞してみてください。
② 陵墓
ザーロン帝のお墓です。陵墓の手前にはテラスのように作られた階段があります。
陵墓奥にある三重壁のなかには、ザーロン帝と皇后の棺が仲良く並んで置かれています。このように両者の棺が並べられているのは、ザーロン帝廟だけです。
陵墓には鉄扉がありますが、ここには弾痕が生々しく残っています。
③ 碑亭
ザーロン帝の功績が書かれている碑石で、息子である2代目皇帝ミンマン帝によって造られました。
④ 嘉成殿
ここはザーロン帝の親族が祀られている場所です。ザーロン帝と同じ敷地で静かに眠っています。
ザーロン帝廟遺跡の見学ワンポイントアドバイス
ザーロン帝廟はフエ市街から離れているので、見学するときは時間配分を気にしながら回ってください。
ザーロン帝にある明成殿は、帝廟のなかでもっとも華やかな場所です。いちばんのクライマックスともいえる場所なので、細やかな装飾まで観察するのがおすすめです。
またザーロン帝廟から約100mほど離れた場所には、第二皇后のお墓もあります。第二皇后は、2代目皇帝ミンマン帝の実母です。ザーロン帝が亡くなった後ミンマン帝が建てました。
こちらも合わせて見学してみてください。
他の帝廟と同様に拝亭には像が並ぶ
周辺は緑に囲まれており穏やかな雰囲気
ザーロン帝廟遺跡の場所(Google MAP)
フエ中心部から車で40分ほど離れた場所に位置しています。
他の帝廟や観光スポットから少し離れておりアクセスしづらい場所にあります。
フエのフバイ空港から向かう場合も約40分ほどかかります。フエ駅は市内中心部にあるため、同様に40分ほどの移動で訪れることができます。