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ティエンムー寺 - フエと周辺の観光スポット
ティエンムー寺
フエの市街地から5kmほど離れたフォン川を一望できる丘の上にある「ティエンムー寺」は、1601年に建立されたフエで最も古い寺院の一つです。漢字で書くと「天姥寺」となり、阮王朝時代よりさらに前の広南国時代に、ある一人の老婆が「いずれ支配者がここに現れ、塔を建てることだろう」と予言したことに起因しています。建物以外にも宗教弾圧対して自分の身を犠牲にして抗議した僧侶に関する展示品もあり、宗教について色々考えさせられる観光スポットになっています。
トゥニャン塔
漢字で書くと「慈悲塔」となるこの美しい八角形で七層を持つトゥニャン塔(パゴダ)は、高さが21mもあり、お寺に到着するとすぐ目に飛び込んできます。この塔は1845年に阮王朝第3代皇帝ティエウチ(紹治)帝が建てたもので、七層各階に仏像が安置されています。また、最上階には金色に輝く釈迦如来像が安置されています。フエ市街の至る所から見ることが出来るこのトゥニャン塔は、フエの人々にとって町のシンボルであり、お土産のモチーフとして用いられることも多いです。残念ながら塔内は一般開放されておらず、上がって仏像を見ることは出来ません。
六角大鐘楼・六角碑亭
トゥニャン塔の左右後方にはそれぞれ「六角大鐘楼」と「六角碑亭」があります。六角大鐘楼には、重さ約2トン高さ2.5mもの巨大な鐘が龍を模った金具に吊るされており、この鐘の音はなんと10km先まで響き渡ると言われています。六角碑帝の中には、大理石で作られた亀の像に背負われた石碑が置いてあり、長寿のシンボルとして人々に崇められています。六角大鐘楼は1710年に、六角碑亭は1715年に広南国第6代皇帝阮福淍(グエン・フック・チュー王)によって建てられました。
大雄殿(ダイフン殿)
トゥニャン塔を通り過ぎて中国風の装飾を施された門をくぐると、いよいよ目に入るのはお寺の本堂である大雄殿です。本堂の前には、身体を清めるために日本風の常香炉が設置されています。本堂内部には、三尊仏が安置されています。この三尊仏は、初代阮王朝皇帝ザーロン帝を助け、当時争っていたタイソン朝を破ったポルトガル人のジーン・デ・ラクロイスによって鋳造されたと言われています。当時ベトナムでは漢字が公用文字でとして用いられていたので、本堂の至る所にある「漢字」が建築様式や装飾と相まって、より中国風なお寺であることを増長させます。
オースティン A95
ティエンムー寺の一角に一見お寺に展示されるはずのない自動車「オースティン A95」が置かれています。しかしながら、この自動車はこのティエンムー寺で一番の見どころと言っても過言ではありません。ベトナムが南北に分かれていたころ、このお寺があるフエは当時南ベトナムに属していました。しかしながら、当時アメリカの支援を受ける南ベトナムのゴ・ジン・ディエム政権はキリスト教徒の数が多く、仏教徒に対して非常に弾圧的な政策を行なっていました。
そんな中、1963年6月11日にティエンムー寺の僧侶「ティック・クアン・ドック」は、首都サイゴン(ホーチミン市)まで「オースティン A95」に乗って行き、抗議の意味を込めて大衆の前で焼身自殺を決行しました。ガソリンを被って自らに火を灯した彼の身体はあっという間に炎に包まれましたが、その燃え盛る炎の中で結跏趺坐を崩さず、絶命するまで微動だにしない彼の様子は世界中に放映され、多くの人々に衝撃を与えました。この焼身自殺に対して南ベトナム政府は、「人間バーベキュー」などと揶揄し、国内外問わず全世界で大顰蹙を買う結果となりました。この一件がきっかけとなり、同年11月に起こった軍事クーデターにより大統領は殺害されました。またティック・クアン・ドック僧侶の身体の大部分が焼け落ちてしまったにもかかわらず、遺体の中から形そのままで焼け残った心臓が発見され、強靭な意思の象徴として大きな話題を呼びました。
注意点
他のベトナムの観光スポットと同様、過度な露出のある衣服の着用は控えましょう。また、ティエンムー寺は丘の上にあり、本堂に至るまで長い階段を登る必要があります。車椅子をご利用の方、足の不自由の方はお気をつけください。
アクセス
フエ市街地から5km程度の位置にあるので、タクシー、バイタクの利用をお勧めします。
住所: Nguyễn Phúc Nguyên, Hương Long, Tp. Huế
拝観料:無料
拝観時間:5:30-17:30