ミャンマーはなぜ親日なの?日本とミャンマーの歴史を優しくご紹介

ミャンマー 親日の理由 日本とミャンマーの歴史

ミンガラーバ!ミャンマー星人の林ツイタチです。ミャンマーの魅力を文章や写真で発信しながら生きています。この記事では【日本とミャンマーの歴史を優しくご紹介】について解説します。

ミャンマーの歴史

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インド、中国、ラオス、タイと国境を接し、日本の約1.8倍の広大な国土を持つミャンマー。国民の約9割が古来より仏教(上座部仏教)に深く帰依しており、宗派を象徴する仏陀の遺品を納めたパゴダが広大な高原に林立している光景は息を呑むほど美しく雄大です。

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農業や鉱山業、観光業が盛んであり、特に翡翠やルビーといった宝石が採掘される鉱石業はミャンマーの経済発展に欠かせない重要な産業の一つです。

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ミャンマーはかつてイギリスの植民地であり1824年から1886年まで半世紀にわたりイギリスの支配下に置かれ、軍により鎖国状態が続きました。

現在では、日本人および韓国人はノービザで最大30日間の滞在が可能(2020年9月末まで)になり、観光のハードルが大幅に下がりました。

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2020年3月現在ではコロナウイルスによる感染拡大を抑えるべく、VISAの発給が無期限の停止処置が行われ、航空機の発着陸が不可能になり、事実上の観光不可となっております。旅行をお考えの際は外務省やミャンマー大使館にお問い合わせください。

歴史を語る上で外せない人物『アウンサンスーチー』

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ミャンマーの歴史を語る上で外せない人物といえば『アウン=サン=スーチー』氏です。2020年現在ではミャンマーの国家顧問として、民主化後事実上の最高指導者として政治の舵を取っています。

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ビルマの政権を軍が握っていた時代にシュエダゴン・パゴダ前集会で50万人に向けて演説を行ったことをきっかけに1988年、国民民主連盟(NLD)の結党に参加し、書記長に就任。

1989年7月に自宅軟禁され、NLD書記長を解任されるなどの波乱を乗り越え、1990年5月27日の総選挙でアウンサンスーチーの率いる国民民主連盟(NLD)が大勝、1991年にはノーベル平和賞を受賞しました。ノーベル賞賞金の130万ドルはビルマ国民の健康と教育のための基金の設立に使われたとのことです。

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軍事政権はその後も続きましたが、民主化への第一歩を踏み出す突破口を開いた人物の一人である事は間違いありません。

民族問題『ロヒンギャ』ってどんな問題なの?

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ロヒンギャ問題とは『ロヒンギャ』を名乗る部族とミャンマー国家間に起きている不和を表し、ミャンマーが抱えている部族問題の一つです。

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ロヒンギャ民族側は「自分たちはミャンマーのラカイン地方に8世紀から住む『由緒ある民族』だ」と主張していますが、国家側がそれを否定。約200万人は数えるとされている彼らを国民として計数していないことで軋轢が生じています。

なぜ、国民として認めていないのかなどの詳細は別記事で解説しているため、ぜひそちらをご覧ください。

日本とミャンマーの関係

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ミャンマーは東南アジア諸国のなかで最も親日的な国として語られています。そうした理由の根源には、いくつかの歴史的な背景が隠されています。

最たるものは、第二次世界大戦の戦争直前から戦時中にかけて日本軍の一部とビルマ人の交流です。ビルマ軍は、1920年代からイギリス軍および植民地軍に対し反英独立運動が盛んであったことから、イギリス軍と闘う日本軍に加勢したと言われています。

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また、戦争に敗北した戦後の食糧不足で苦しんでいた日本に、独立したばかりのミャンマーがコメを安く輸出してくれた事実に基づくとされています。

もっとも苦しい時期に外交関係を結んでいない間柄でありながらコメなどの物資を届けてくれたことに対する恩があったことを、どれだけの日本人が認識しているのかは不明です。

まとめ

ミャンマー 親日の理由 日本とミャンマーの歴史

  • ミャンマーの歴史概要
  • アウンサンスーチーとロヒンギャ問題
  • 親日国家の背景にあるストーリーこれらの点について解説しました。ぜひご参考に!
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