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クチトンネル「地下要塞のジェネレーションZ」 - ホーチミンと周辺の観光スポット
売れ残り作家が行く!アジア旅行記
旅を通して現地のおすすめ観光スポットや近況を
ちょっとミステリーにご紹介します
旅人・作家:山部拓人
「祖父っちゃんの名にかけて」
彼女は大きく頷くと、お約束みたいに言いました。
アルバイト先の同僚である大学生の人達とは、暇さえあればよく飲みます。
同僚、ここ大事です(笑)。
自分はアラフォーの立派なオッサンですが、あくまでも同僚。妙な上下の関係はありません。
時給も収入も同じなので割り勘です。割り勘だったら、当然ノー上から目線です。ま、上になるほどの要素も持っていませんけど(笑)。
そうそう。 近頃はアルコールが苦手な若者が多いなんて話も聞きますが、あれ昔からよくある偽情報か誇張情報だと思います。確かに多少は酒好きが減ったのかも知れませんが、取りあえず世代の違いまでは感じません。
「こいつ、アメリカがベトナム戦争で負けたとか言ってるんすよ」
そんな飲み会の席で、唐突にそのトピックは飛び出しました。
男女学生6人とオッサン1人。ビールとハイボールのお代わりが、だいぶ進んでいたのは事実です。それでも、レジのお客さんあるあるやらいない友達のコイバナやらで盛り上がっていた時間帯に、その話する?という感じが若干あるかと思いました。
しかし、全体でのインターナショナルな話題と隣同士のローカルな話題が奇跡的に両立されていたので、そう言った空気は見事に無かったのです。
「マジかー。おれも最近まで知らなかったからなー」
僕も話題に乗っかりながら、ハイボールをくびり。
話を振って来た学生は、学歴としても申し分ない私立大の男子でした。
とは言え実際はこんなもん。世界史の中でも近代に入ってしまう部類は、意外に弱いのです。
いやいや。
僕も社会人になってから読んだ本で、真相をやっと知ったのでしたっけ。大差ないです。
「でもやっぱ負けたらしい」
僕は焼き鳥を串から外しつつ、小声で言います。
男子はちょっとびっくりした表情で、こいつ扱いされた女子はほっとした表情を浮かべました。恐らくアメリカが負けたと言った女子も、あまり自信は無かったのかも知れません。
ベトナム戦争はアメリカにとって、未だに陰を落とす最大の黒歴史です。その全真実を世界中に向けて自ら語り出す日は、まだまだ遠いのではないでしょうか。
「就活入る前に、すっきりしておきたくて。一度ベトナム、行きたいんすけど」
飲み会の翌日に、僕の後ろで声がしました。 バイト中で、ハーゲンダッツのミニカップをちまちま並べていた時の事です。ベトナム戦争の真実にびっくりしていた、男子学生の和田君が立っていました。 そう言えば、AIの分野に興味があるとか。いやぁ早いもので、学生の皆さんもいよいよ就活ですか。
「山部さんがよく行ってるって、聞いてたんで」
その後ろには、ベトナム戦争の真実にあまり自信が無かった、女子学生の小林さんがいます。
確か実家は駅前の祐天寺通りで、お祖父様の代からの和菓子屋を経営。取りあえず自分は、大手の和菓子メーカーを狙ってみたいと言っていました。
「3人で行こうかって、盛り上がっちゃったんすけど」
そこは曲がらないだろって、日本人ならまず思う看板のすぐ横、ぎりのところを普通に曲がって、民家の軒先やら植え込み脇をがんがん入って、ゴムの木の林を抜けたら唐突に表れるのが、ここクチトンネルの入り口です。
本来はひとり旅が好きな僕ですが、同僚が真剣に盛り上がってたら、それ乗るしかないでしょう。
ホーチミンから北西へ車で約1時間半。ベトナム戦争を今一度頭の中で整理するなら、クチの地下トンネルは外せないアイテムです。
「思ったほど山奥ではないんですね」
小林さんが付近を見回しました。
確かに。数年前に来た頃は、僕ももう少し山の中をイメージしていました。何せゲリラはジャングルで戦ったと聞いています。クチの地下トンネルは、そんな南ベトナム民族解放戦線の作戦本部がおかれていた場所ですから。
全長250km余りに渡って続く、文字通り難攻不落だったクチの地下トンネル。その広大なトンネルの一部だけが、現在公開されています。
「何かポップ!」
和田君は、入場者シールを腕に貼ってご機嫌状態。
入場ゲートにあるマップを見るとなるほど、アトラクションな感じしかしません。その先の電光掲示板には、日本語の案内文字が浮かびます。
まず通されるのが、レクチャールーム。様々な対応言語の中から、当然日本語を選び部屋へ入りました。モニターに映像が流れ始めます。
「あ、始まった」
まるで映画でも見る時みたいに、小林さんが小さく手を叩きました。
世間では僕達をジェネレーションYと呼び、彼女達をZに分類するそうです。ただ、ベトナム戦争に疎いのは何も学生の人達だけではないでしょう。
そもそもベトナム戦争とは、第二次世界大戦後に改めて始まった根の深い戦いです。それまで占領していたフランスの支配からやっとの思いで脱したにも関わらず、南北で分断されてしまったベトナム。そんな彼らが、祖国統一を取り戻そうとした戦いです。
と、そこまでは表向き。裏では当然、大国間の利害と対立が渦巻きます。北ベトナムを支援する社会主義国の旧ソ連と中国、南ベトナムを支援して影響力を拡大したいアメリカとの、覇権を巡る戦いでもありました。それは後にアメリカと北ベトナムの戦争といった形を経て、1975年4月30日のサイゴン陥落まで長きに渡る悲劇となってしまうのです。
「何だかえげつないですね。アメリカ」
トンキン湾事件の説明を聞いた和田君が、小さく言います。
この事件はアメリカのでっち上げで、自国の軍艦が北ベトナム軍からトンキン湾で攻撃を受けたと吹聴した事件です。ここからアメリカは、いつもの空爆を開始するわけです。通常ベトナム戦争という時には、このトンキン湾事件以降の北ベトナム軍&南ベトナム人民解放民族戦線と、アメリカ&南ベトナム軍との戦争を指します。
「ランボーとか、確かこの戦争でやばくなったアメリカ人でしたね」
小林さんもモニターに向かって呟きました。
顔に似合わずマニアックなネタもいけるタイプ。ランボーは、おじさんもよく見ていません(笑)。
レクチャールームを出ると、僕らは実際に使われていたトンネルや落とし穴を体験しました。 戦争中は何千人もの人々が、このトンネルで暮らしていたそうです。ベトコンゲリラにとっての要塞と言うだけでなく、社会生活の中心でもあったと聞きます。その中にあるのは、学校や病院などの公共の場所。そして、恋人達がデートをするプライベートな空間や、歌にダンスに伝統文化が演じられる劇場までも存在したとか。
「ずっとドローくらいかと思ってたけど。リアルに負けてますよ、アメリカ。撤退してるし」
和田君は、米兵が置き去りにして逃げた戦車を軽くノックします。
「でもこれで、もやもやが晴れました」
近代史を一つ解明して、社会人としても一歩前進。
これでこの後から始まる就活に、ピタリと照準が合わせられたらおじさんも嬉しいです。目指すはAIの業界、でしたか。
「改めて、色々と脱帽ですね。この国が、あんな大きな国に負けなかったなんて」
実家が、お祖父さんの代から和菓子屋を営んで来た小林さんが言います。
取りあえず就職先のメーカーで色々と吸収して、それから帰って来るそう。
「私も負けないすよ」
彼女は大きく頷くと、お約束みたいに言いました。
「祖父っちゃんの名にかけて」
この記事のライター;山部拓人(ヤマベ タクト)
教育系の出版社勤めから脱サラし、売れないミステリ作家の日常へ突入。
目黒区祐天寺のアルバイトで露命をつなぐ。ミステリ好きの素養がレジ打ちで鍛えられ、プロファイリング能力として近年開花。買った物や持ち物から、人の性格や行動を推し量れるまでになってしまう。ストレス解消は学生時代に始めた一人旅。三軒茶屋在住のバツ2。