『タイ旅行をもっと楽しむために!』バンコクの歴史を調べてみました。歴史を知り、今のバンコクを考える。

バンコクの歴史

世界有数の大都市であり、東南アジアの経済の中心であるバンコクは商業の街であると同時に世界屈指の観光都市でもあります。

バンコクの歴史

クレジットカードのブランドで有名なマスターカード社の統計によれば、世界で最も外国人が訪れる都市と公表され、アメリカのトラベル+トレジャーという旅行雑誌では2010年から四年間連続で世界一の観光都市とされました。

チャクリー王朝バンコクの歴史

しかし、バンコクが昔からこれほどの大都市であったわけではありません。何故、バンコクは世界規模観光都市とみなされるほどの発展を遂げたのでしょうか?今回はそんなバンコクの歴史を紹介したいと思います。

現在も続くタイのチャクリー王朝の歴史

バンコクの歴史

バンコクの歴史の前に、現在も続いているタイの王朝の歴史を紹介します。タイはかつて存在したアユタヤ王朝の血を引いているラーマ一世という人物によって成立しました。現在のタイの王朝はチャクリー王朝という王朝ですが、チャクリー王朝の前にタークシンという人物によって興ったトンブリー王朝がありました。

チャクリー王朝バンコクの歴史

このトンブリー王朝時代にラーマ一世は将軍としてタークシンに仕えていましたが、タークシンはアユタヤ王朝の血を引いていないことにコンプレックスを抱いていました。次第にタークシンは精神に異常をきたしてしまい、自分を阿羅漢(仏教用語で修行者の最高位の意味)と自称するようになり、まわりの僧侶たちに自分を礼拝するよう命じます。
タークシン バンコクの歴史

しかしながら、タイの仏教では例え阿羅漢であろうと民間人の礼拝は禁忌とされており、身分の高い僧侶たちは礼拝を断りました。タークシンは激昂し、僧侶たちを鞭打ちの刑に処し僧籍を剥奪したところ、このことが民衆に多大な同様を起こさせ、反乱が起きてしまいます。

反乱の鎮圧をタークシンは家来のプラヤー・サンに命じますが、プラヤー・サンはタークシンに背き、タークシンを幽閉し自分は摂政を務めました。そのころ、トンブリー王朝はカンボジアと対立しており、ラーマ一世は出征していたのですが、プラヤー・サンがタークシンを幽閉し摂政の地位に就いたことを知り、帰国しました。

タークシン バンコクの歴史

ラーマ一世はプラヤー・サンを排除し、1782年になるとタークシンはラーマ一世に処刑され、トンブリー王朝はたった一代で滅んでしまいました。そして、ラーマ一世は圧倒的な民衆の支持によって王位に就き、チャクリー王朝の歴史が始まりました。

バンコクの歴史

チャクリー王朝の歴史 バンコクの歴史

➀バンコクの歴史は18世紀に始まった

バンコクの歴史

バンコクの歴史は一本のチャオポー・ラックムアンという守護神を祭るための柱が立てられたことから始まりました。三年間にわたる建設が終わり、王宮や王族縁の施設がバンコクの中に建設され、運河が掘られ、ラッタナーコーシン島と呼ばれる人口の島が作られました。

ラッタナーコーシン島 バンコクの歴史

この島に住むことが許されているのは、基本的に王族だけだったのですが、王室華人と呼ばれる、タイの国籍を持つ中国系の住民もすむことが許されていたことが記録に残っています。当初はこのラッタナーコーシン島がバンコクの中心を担って機能していましたが、経済発展をするにつれ、バンコクは広がっていきました。

バンコクの歴史

五代目国王ラーマ五世の時代になると、ラッタナーコシン島内の王宮内で暮らせないほど、王室の家族が増えたという理由で、あらたにドゥシット宮殿群が建設されました。

②ラーマ五世によるタイの近代化

チャクリー改革 バンコクの歴史

また、ラーマ五世の時代(19世紀)には、タイの近代化が行われ、近代化に伴いそれまではバンコクは王朝の直轄にあったのですが、畿内省という政府の管轄になりました。タイの近代化の政策のことをチャクリー改革というのですが、これは強制労働に従事させられていた人民の開放を行いました。

バンコクの歴史

それまでは欧米はタイを野蛮な国とみなしていましたが、このチャクリー改革により、そのイメージは払拭されました。チャクリー改革は他にも、近代国家を担うための優秀な人材を確保するために王室のみが通うことが許される専用の学校の開設、及びこの学校の生徒の留学を促し、民衆にも義務教育を導入しました。

バンコクの歴史

また、軍事面でも軍隊の近代化を促進し、鉄道や、道路、電話や郵便、更には水道といったインフラも整備し、県、郡、町、村を置き、タイの近代化が行われました。つまり、現在のタイの経済の中心であるバンコクはこの近代化がなかったら有り得ないものなのです。

③世界的大都市となったバンコク

経済 大都市
 バンコクの歴史

そして、1980年代になるとタイ国内の投資が拡大し、経済の中心であるバンコクも更なる拡大を遂げ、この頃になるとバンコクに自由主義の風潮が生まれ、バンコクは民衆が選んだ知事によってその自治を行われることになりました。

経済 バンコクの歴史

2014年になるとバンコクの総生産数は2917億ドルとなり、世界規模で35位の経済規模を有するという東南アジア諸国連合屈指の経済都市となりました。

まとめ

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バンコクは世界規模の経済都市であると同時に、観光が盛んなことで有名で、日本をはじめとする他のアジア諸国だけでなく、ヨーロッパやアメリカからの観光客も見られる大変ポピュラーな土地です。

他にも芸術やスポーツも盛んで、バンコク映画祭は毎年開催され、サッカーのタイ・プレミアムリーグのいくつかのチームはバンコクを本拠にしています。

バンコクの歴史

また、ワット・アルンを始めとした寺院や歴史的建造物も充実している点も見過ごせません。まさにバンコクは多種多様な面で発達していると言っても過言ではありません。バンコクの歴史