サワディカー!バンコク在住の愛優です。
バンコク市内を蛇行して流れている「チャオプラヤ川」。
バンコクはチャオプラヤ川とともにその歴史を刻んできました。
現在はバンコク市民の足として、さらには観光客がリバークルーズを楽しむ観光スポットとしても親しまれているチャオプラヤ川の歴史を紐解いていきます。
目次
アユタヤ朝時代からトンブリ―王朝へ
歴史ははるか昔、アユタヤ朝時代にまでさかのぼります。
現在タイの首都があるのは「バンコク」ですが、その前は遺跡で有名な「アユタヤ」という場所に「アユタヤ朝」がありました。
当時王都があったアユタヤはビルマ(現在のミャンマー)との戦いに敗れのち、現在の遺跡が形が残っていないものが多いことからも分かるようにかなりの建物が破壊されました。
このままでは新しい王朝をアユタヤに作ることはできないと、新しい王朝の王様であるタークシン王がブルマを退け、新たに首都を築いたのが現在のバンコクチャオプラヤ川の西側でした。
実はチャオプラヤ川は上流に行くとアユタヤの街に繋がっており、新しく作られたトンブリー朝は川を下って行った河口につくられたことになります。
トンブリー王朝から現在のチャクリー王朝へ
そうして新しい地バンコクで発展を遂げていくタイ王国ですが、すぐに終わりを迎えます。
トンブリー朝をひたらいたタークシン王が王位について15年、王は精神を病んで行くこととなりました。
そこで当時、タークシン王の官吏としてついていたプラヤー・サンは王様を幽閉してしまいます。
さらに、アユタヤ朝滅亡時にビルマ撃退に大きく貢献した一人でもあった「ソムデットチャオプラヤー・マハーカサットスック」がカンボジアへ遠征へと言っている間に王位を奪還しようと企てました。
しかし知らせを聞いて急いでバンコクへと戻ったソムデットチャオプラヤー・マハーカサットスックはそれを阻止し、自らがラーマ一世として即位しひらかれたのが現在のタイの王朝、チャクリー王朝です。
チャオプラヤ川を挟んだ東側、現在王宮やワット・プラケオがある場所に王宮を移し、新しい時代が始まりました。
バンコクが発展していく中で、バンコク市内を移動する手段として使われたのが、チャオプラヤ川から伸びる運河でした。
この風景からバンコクは「東洋のベニス」とも呼ばれていました。
現在でこそ開発が進み、その運河も大半が埋め立てられ道路の下になっていますが現在でもバンコク市内の水路を船が行きかう様子が見られ、当時の面影も残っています。
現在のチャオプラヤ川
そして、現在のチャオプラヤ川は、川の両サイドに大きなホテルやコンドミニアム、ショッピングセンターが立ち並ぶ近代的な風景が見られます。
川沿いのホテルは高級ホテルが多く、バンコクに来る観光客からもリバービューの部屋はとても人気な部屋タイプの一つです。
川沿いには寺院やナイトマーケットというように観光地も多く、観光客を乗せた大きな船がゆっくりと進む横を、現地の人が公共交通機関として利用しているボートがすり抜けていく様子を眺めることができます。
さらに夜になると大きなクルーズ船がどこからともなく現れ、川岸に聞こえるほどの音楽を響かせながら明るくきらめくクルージングが毎晩開催されています。
時には観光客の観光スポットとして、時にはバンコク市民が日常的に使う交通の要所として、現在もチャオプラヤ川は優雅にバンコク市内を縦断しています。
まとめ
今回はチャオプラヤ川からタイの歴史を紐解いていきました。
タイ観光をするとき、チャオプラヤリバークルーズに参加するとき…、タイの歴史とともに歩んできてチャオプラヤ側の歴史も知っているとさらに観光を楽しむことができますよ。
ぜひタイ観光の前にご一読ください!