「セブ島」といえば、皆さん何を思い浮かべますか?きっとビーチやマンゴーを思い浮かべる人が多いですよね。しかし、実はセブ島の魅力はその歴史にも隠されているのです!
ガイドブックに掲載されている観光スポットを訪れても、そこにどんな歴史的背景があるのか分からなければ、実際に見ても「…?」ですよね。特に銅像とか。私も学生時代は修学旅行で訪れた奈良の大仏を無心で眺めていました。
今回私がセブ島の歴史を簡単にまとめてみましたので、この記事を読んで一味違ったセブ島旅行へ出かけてみませんか?
【第1章】あの「マゼラン」がセブ島に上陸!?
〜貿易ルート開拓中になぜかキリスト教徒にされるの巻〜
スペインのマゼランは歴史上で初めて世界一周を成し遂げた人物として歴史の授業でも習った記憶がありますよね。そのマゼランは「貿易ルートの開拓」、そして「スペインの領土を広げることができるか」という調査をしていました。そのマゼランがセブ島とどんな関係があるのかというと、貿易ルートの開拓中、艦隊の補給のために上陸したのがセブ島でした。
…そしてここからストーリーは恐ろしい方向に進んでいきます。マゼランはセブ王にキリスト教を説き始めたのです。結果的に2人は親しくなり、そこからマゼランはセブ島に立ち寄った本来の目的を忘れたかのようにその周辺の島にもキリスト教への改宗を進め、先にキリスト教徒になったセブ王への服従を要求しだします。急に怖すぎますが、セブ島周辺のほとんどの王はこれに従ったというので、マゼランあなどれません。
観光スポット① マゼラン・クロス
1521年、マゼランがセブ島に訪れた時にキリスト教の洗礼を記念して打ち込んだ木製の十字架。万病に効くと信じられており、この十字架を削って持って帰る人もいたため1984年には十字架はカバーで覆われるようになり、八角堂が建てられました。今は赤いロウソクが販売されているので、そのロウソクに火を灯して願い事をすると良いとか。
【第2章】セブ島を救うヒーロー登場!
〜マクタン島の王がマゼランの暴走を阻止するの巻〜
しかし、マゼランの要求をマクタン島の王、ラプラプだけは拒みました。ラプラプ王かっこいいですね…。そんなラプラプ王を服従させるべく、マゼランは49名の部下を連れてマクタン島に乗り込んできます。皆さんお気づきかもしれませんが、当初マゼランは貿易ルートを開拓していただけです。話の展開が怖すぎますがついてきて下さいね。
マクタン島に到着したマゼランたちは最新の武器を持っているしヤバそう!と思いきや、ラプラプ王はなんと1500人の兵で対抗。どうしたらそうなったという人数差ですのでもちろんマゼランに勝ち目はなく、戦死してしまいました。こうした経緯から、ラプラプ王は「フィリピンの英雄」として今でも皆に愛されています。
★豆知識★
歴史の教科書では「初めて世界一周を成し遂げたのはマゼラン」となっていますが、マゼランはセブ島で戦死しましたよね。つまり、世界一周を成し遂げたのはマゼランではなく、マゼランの戦死後も航海を続けた仲間の艦隊だとか!
観光スポット② マゼラン記念碑 / ラプラプ像
(出典:https://en.wikipedia.org/wiki/Ferdinand_Magellan)
マクタン・シュラインと呼ばれる公園にある超有名スポット。2004年に建てられたこともあり比較的新しいですが、すぐ横には当時の激しい戦闘の様子が浮かぶ壁画も描かれています。
【第3章】マゼランが戦死しフィリピンは自由に!
〜と思いきや新キャラ登場でスペインによる支配は続くの巻〜
マゼランの死後もスペイン人によるフィリピンへの乗り込みは止まらなかったのですが、どれも失敗に終わっていました。しかしマゼラン上陸から44年後、ついにミゲル・ロペス・デ・レガスピという人物に制圧され植民地にされてしまいます…。
マゼランがセブ島に上陸し、ラプラプ王が倒してからもスペインによる統治は約333年もの間続いたことになります。333年って、何回孫産まれてるんだろうという感じですよね。さすがのフィリピン人も「もう支配されていたくない!」と、独立運動を起こすようになります。
観光スポット③ ミゲル・ロペス・デ・レガスピの銅像 / サンペドロ要塞
サンペドロ要塞はスペイン人入植の拠点として当初木で建てられたもの。現在の石造りの要塞はイスラム勢力からの攻撃に耐えられるよう1738年に建てられた進化版になります。1565年当時この要塞の建設を指揮したのがミゲル・ロペス・デ・レガスピなのですが、要塞の隣に立つ彼の像には説明も何も書かれていません。
【第4章】フィリピン解放運動の父「ホセ・リサール」現る
〜銃殺されるもその意思は国民に受け継がれる〜
(出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%82%BB%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%AB)
フィリピン独立を目指す運動が盛んに行われていた時、皆の先頭に立って指揮をとっていたのが、医師、著作家、画家でもあったホセ・リサールという人物。職業の数だけでも驚愕ですが、彼は15ヶ国語を習得していたというのでまさに天才です(笑)。
そんなヒーロー的存在のホセ・リサールですが、解放運動の指揮をとっていたことでスペイン軍に捕まり、1896年ついに銃殺されてしまいます。しかし、ホセ・リサールの強い遺志は多くのフィリピン人にしっかりと受け継がれ、その後独立運動はより加速しました。彼の死は決して無駄ではなかったということですね。
その後、フィリピンの運命やいかに?!
観光スポット④ リサール公園(マニラ)
(出典:https://en.wikipedia.org/wiki/Rizal_Park)
公園の入り口にはホセ・リサールの記念碑が建てられており、24時間衛兵が見守りをするほど。というのも、記念碑の地下にはホセ・リサール本人の遺体が葬られています。ちなみに彼は日本にも訪れたこともあり、東京の日比谷公園内にも像が建てられているなど日本との関わりが深い人物です。
【第5章】アメリカという助け舟でフィリピンに転機が!
〜と思いきや、まだまだ完全な独立は叶わず…?の巻〜
ホセ・リサールが銃殺された2年後の1898年、アメリカがフィリピンの独立運動を支援するという名目でスペインと米西戦争に発展。この戦争にアメリカが勝てばフィリピンは独立できるという希望が見えてきたわけです!後少しです!そしてアメリカは見事戦争に勝利し、スペインに代わってフィリピンを植民地にすることができました!!
が、問題発生です。
アメリカはフィリピンに自主統治を認めて「フィリピン第一次共和国」として念願の独立を果たしたものの、これは本当の独立ではなかったのです。というのも、北西戦争の際に結ばれたパリ条約によって、フィリピンの領土はアメリカと割穣されることに。フィリピン人は納得できず、これをきっかけに今後はアメリカとフィリピンで戦争が勃発します。
そこから月日が流れて、1916年にアメリカ議会でフィリピンの自治を認める法律が可決されました。しかし、独立を勝ち取るための戦いはまだ続く…?
【第6章】ついにフィリピンの完全独立が約束される
〜日本の軍事拠点にされまたもや独立逃すも長年の夢が叶うの巻〜
完全独立が約束された喜びもつかの間。あの有名な第二次大戦の勃発によって、アメリカと日本の間で戦争が起こったのです。日本がセブ島を軍事拠点としたため、またもや自由は奪われました。もう本当にいつになったら…という感じですが、
ついに!!!!!第二次世界対戦で日本が敗北し、本当の独立を叶えることができました!!(パチパチ)300年以上に及ぶスペインの植民地時代、アメリカによる統治、一時は独立できる流れになってからの日本による占領…。フィリピンは絶望とも言える長い期間、植民地にされていましたが、やっと本当の独立を手に入れることができました。
★豆知識★
先ほど観光スポットとして紹介したスペイン統治時代に建てたれたサンペドロ要塞。アメリカ統治時代には兵舎として使用され、日本統治時代には捕虜を監禁しておく目的で使用していました。
まとめ
いかがでしたか?
実は、セブ島の有名な観光スポットにはこうした苦しい戦争の物語が刻まれていました。旅先の歴史を事前に知っておくだけで、訪れた時に違った見方ができますよね。
ビーチも最高ですが、セブ島に行った際はぜひ観光スポットへも足を運んでみてください♪