これだけは覚えておきたい!ベトナムの偉人有名人ベスト10! 古代から近代までの歴史的な偉人を厳選しました。

ベトナムの偉人有名人ベスト10

ベトナムの歴史は複雑です。過去には何度も侵略され、植民地になりました。そんな激動のベトナムの歴史で欠かすことのできない偉人や有名人をまとめています。

ベトナムは、偉人や有名人を通りの名前に付ける風習があるので、街歩きのときに通りの名前にも注目してみてください。

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ベトナムの歴史を語るうえで忘れてはいけない偉人有名人

ベトナムの偉人有名人ベスト10

現在の「ベトナム社会主義共和国」ができたのは1976年と、日が浅いベトナム。幾度も形を変えたベトナムの歴史はとても複雑です。隣国には中国、ラオス、カンボジアなどがあり、とくに中国とは古代から中世にかけて侵略と独立を繰り返してきた深い関わりがあります。

また近代になると、フランスがベトナム中部を占領しフランス植民地の時代を迎えます。各時代で侵略されたベトナムには、多くの偉人や有名人がいます。ベトナム偉人や有名人を知って、観光スポットを巡るときの参考にしてください。

ハイ・バー・チュン(生年不詳 – 43年)

ハイ・バー・チュン

ゾウに乗る徴 姉妹(ちょう しまい)を描いた版画

画像参照:ウィキペディア

ハイ・バー・チュンは。チュン・チャックとチュン・ニの2人姉妹の名前です。1世紀ごろ、中国による初めてのベトナム侵略が北部で起こりました。

このとき主導権を持っていたのがハイ・バー・チュンです。「ベトナムのジャンヌダルク」とも言われ、英雄として歴史に名を刻みました。象にまたがって戦っていた姿を祀った寺院が多くみられます。

ハイ・バー・チュン

彼女たちの名前が付けられたハイバーチュン通りは、ホーチミン中心部にあります。ハイバーチュン通りはとても長く、ドンコイ通りやレタントン通りにも隣接。また日本人経営の飲食店も多くあるため、一度は通る道だと思います。

チャオ・フン・ダオ(1229~1300)

チャオ・フン・ダオ

画像引用:ウィキペディア

チャオ・フン・ダオは大越陳朝の王族でもあり武将でした。この時代のベトナムは中国やモンゴルに幾度となく侵略されていました。そんな中、チャオ・フン・ダオの指揮のもと、3度に渡ってこの侵略を防ぐことに成功。

ベトナム史上随一の英雄とされている人物です。この功績により、元寇の日本侵略がなくなったという噂も。チャオ・フン・ダオの功績がなければ、日本の歴史も変わっていたかもしれませんね。

チャオ・フン・ダオ

ベトナムだけではなく東アジア全体に影響を及ぼしたと言われている

チャオ・フン・ダオは、のちの皇帝「陳英宗」に『またモンゴル軍が侵略して来たらどのようにしたらいいのか』と質問を受けたそうです。

このときチャオ・フン・ダオは『手順をじっくり進めしぶとく待つ。また敵を攻撃するときは一気に行うこと。略奪はせず、将棋の駒のように効果的な戦術を使って戦うべきだ』と述べました。

チャオ・フン・ダオ

チャンフンダオを祀る寺の一つ「鎮国寺」

また自らの軍隊には『軍隊は心ひとつに一致団結しなさい』『民衆には心優しく接しなさい』『民衆の力を育みなさい』と言い残しています。

チャオ・フン・ダオの戦術や言葉は、ベトナムの基盤を作ったと言われるほどです。チャオ・フン・ダオは、1300年に起きた地震により生涯を終えました。

レ・ロイ(1385~1433)

レ・ロイ

画像引用:ウィキペディア

レ・ロイは、ベトナム中部にあるラムソンの豪族出身で、後黎朝の初代皇帝です。1406年、明からのベトナム侵攻と支配に抵抗していたレ・ロイ。

10年後の1416年、ラムソンで兵を集め戦いを起こします。この戦いは10年にも及び、明をベトナムから撤退させることに見事成功しました。

レ・ロイ

水上人形劇最古の演目「レロイと還剣伝説」

レ・ロイが集めた兵士は1,000人とも言われています。このとき、自らをビンディンヴォン(平定王)と名乗ったそうです。明との戦いに勝利したレ・ロイは「後黎朝」を創始し初代皇帝に就きました。

レ・ロイ

還剣伝説の亀を祀る「亀の塔」

レ・ロイは在位中、さまざまなことに取組みます。まずは国家制度の整備をしました。国民には田や荒地を給付し、そこで収穫された一部を国家に収める「均田制」を導入。

この均田制は定年になったら土地を国へ返却するので、それまでは思う存分作物を育てられます。

レ・ロイ

科挙試験に臨むためのベトナム最初の大学「文廟」

また長く採用された「科挙制」の導入をしたのもレ・ロイです。科挙制とは、中国で採用されていたもので官僚登用試験のことです。

中国の文化や政治を参考にしていたベトナムでは、このように中国を真似たものを多く取り入れています。

レ・タイントン(即位:1460年 – 1497年)

レ・タイントン
画像参照:ウィキペディア

レ・タイントン(レ・タン・トン)は後黎朝の5代目皇帝で、政治改革に大きく貢献しました。コーチシナ半島を自国にするため、チャンパ王国を退けながら南下。後黎朝では最大領域を築いていました。

政治では中央政府に六部を設置。中央集権制の整備にあたります。土地制度から封建制度といった地方の内政も整えました。

1954年に土地改革の改正が行われるまでの500年間、レ・タン・トンの整備は受け継がれていきました。

レ・タイントン

ニンビン省バイディン寺のレタントンを祀る祠

彼の名前が通りになっているのは、ホーチミンで有名なレタントン通りです。ガイドブックに必ず載っているほど有名な通りで、通称「日本人街」とも呼ばれています。

グエン・フエ(1753~1792)

グエン・フエ
画像参照:ウィキペディア

グエン・フエは、西山朝の二代目皇帝です。ベトナムの歴史上、もっとも成功した軍司令官の一人ともいわれています。グエン・フエは西山三兄弟として知られる人物です。

当時、西山三兄弟は当時のベトナムの中部から南部を支配していた広南国(クアンナム朝)の政策に不満を持っていました。

グエン・フエ

ベトナムで最も有名な戦いの一つ「ドンダーの戦い」画像参照:ウィキペディア

同じく不満を持った人たちと軍勢を越し、広南国を滅ぼします。さらに破竹の勢いでシャムの連合軍を、ドンダーの戦いでは清の連合軍を破り、ついに後黎朝を滅ぼしました。

その後、西山朝を創始しました。しかし、西山朝は長くは続きませんでした。くしくも西山朝を滅亡させたのは、広南国の子孫であるグエン朝の初代皇帝ザーロン帝です。

グエン・フエ

ベトナム各都市の中心には必ずグエン・フエ通りがある

グエン・フエの強さと功績が称えられ、ホーチミン市中心部の通りの名前(グエンフエ通り)になっています。ホーチミン観光で一度は耳にする通りなので、気にしながら散策してみてください。

閑話休題:ベトナムの偉人有名人は通りの名前にもなっている

ベトナムの偉人有名人ベスト10

ベトナムの街歩きで、気にして欲しいのが通り名です。ベトナムの通りは人名から歴史などの名前が付けられていることが多いのが特徴。

歴史上の偉人や有名人を知っておけば、街歩きも一味違った楽しみ方ができます。今回は代表的な通り名でもあり、歴史上有名な人物を合わせて紹介しています。

バオ・ダイ(1913~1997)

バオ・ダイ

画像参照:ウィキペディア

バオ・ダイは、グエン朝の13代目皇帝で最後の皇帝でもあります。

1926年、皇帝の座に就くとフランス植民地だったベトナムの自立を目指し、内政の改革と近代化に向けて努力したそうです。

バオ・ダイ

フエ王宮の国旗掲揚台「フラッグタワー」

第二次世界大戦末期の1945年3月には、日本軍がフランス軍を制圧したことを受け、フランスからの独立宣言をしました。その後日本軍の指導の元「ベトナム帝国」を創始し、初代皇帝の座に就きます。

しかし数ヵ月後、日本軍は敗戦しホーチミン氏率いるベトミンによる「八月革命」でベトナム国は崩壊しました。その後「ベトナム民主共和国」となった南ベトナムに亡命し、ゴ・ディン・ジェム主導のもとバオ・ダイは最高顧問に就任します。

しかしゴ・ディン・ジェムにはバオ・ダイを廃位さそうと企んでおり、国民投票を実施します。国民投票によりバオ・ダイは思惑通り廃位に追い込まれました。

バオ・ダイは廃位後フランスへ亡命し、ついぞベトナムの地を踏むことなく1997年にパリで亡くなりました。

ファン・ボイ・チャウ(1867年 – 1940年)

ファン・ボイ・チャウ

画像参照:ウィキペディア

ファン・ボイ・チャウは、ベトナム民族主義運動の指導者です。1905年には「ベトナム維新会」を設立し、武器援助の交渉に来日しています。ほかにもベトナムの若者を日本へ留学させる活動をしており、横浜に寮を立てました。

フランスからの独立を夢見て積極的な活動を起こしていましたが、上海で捕らえられ終身刑の宣告。終身刑は免れましたが、フエで軟禁されそのまま息を引き取りました。

ファン・ボイ・チャウ

ファン・ボイ・チャウ氏の墓

彼の名前は、ファンボイチャウ通りとして主要都市にいくつも点在します。

多くの都市で使われているのは、それだけファン・ボイ・チャウが偉大だったということですね。

ホー・チ・ミン(1890~1969)

ホー・チ・ミン

ベトナムでもっとも有名な人物といっても過言ではありません。ホー・チ・ミンは、ベトナムの革命家であり政治家でした。儒学者の父親の影響のもと、幼少期から論語を学び中国語を習得します。

その後は父親の仕事の関係でフエに移りました。ベトナム人官吏を養成する学校ではフランス語も学びます。学校を卒業すると見習いコックとして採用されたホー・チ・ミン。1911年、フランスへ向かいました。

このフランス渡航が、のちのホー・チ・ミンの思想を作ったといわれています。フランス植民地だったベトナム。フランスでも貧しい人がいることがわかり、ベトナム人だけが特別ではないと感じたそうです。

ホー・チ・ミン

「もっと広い世界を見てみたい」と船員に転職。フランス植民地各国とアメリカ、ヨーロッパなどを回りました。アメリカを訪れたホー・チ・ミンは、英語を本格的に学びたいとイギリスへ移住します。

こうしてみると、ホー・チ・ミンは中国語・フランス語・英語と多言語に対応できる人物だったんですね。

ホー・チ・ミン

帰国後は、フランス独立そしてベトナム戦争に至るまで、ベトナム革命の指導をしました。ホー・チ・ミンはベトナム民主共和国の初代主席にもなっています。

第二次世界大戦が終結した1945年、ベトナム独立宣言をしたのもホー・チ・ミンです。

ホー・チ・ミン

南北統一後は、ベトナム社会主義共和国になり「建国の父」とされています。人柄の良さから現在もベトナム人に愛されており「ホーおじさん」という愛称まで付けられるようになりました。

ホー・チ・ミンはベトナムの統一を見ぬまま、心臓発作により79歳で生涯を終えました。ホーチミンさんに関してはこちらの記事でより詳しく掘り下げています。

みんな知ってるホーチミンさんってどんな人?わかりやすく解説します!

ティック・クアン・ドック(1897~1963)

ティック・クアン・ドック

画像参照:ウィキペディア

ティック・クアン・ドックはベトナムの僧侶で、政策に抗議するため焼身自殺という悲しい最期を迎えました。当時はフランス植民地時代。ベトナム共和国の初代大統領ゴ・ディン・ジェムは熱心なカトリック教徒でした。

そのためカトリック教徒が多かったサイゴン(現在のホーチミン市)の有力者を優遇する政策をとっていました。

ティック・クアン・ドック

反発した仏教徒は反政府運動を起こしますが、ゴ・ディン・ジェムは戒厳令を出し寺院を襲撃。多くの僧侶を逮捕。この政策に抗議するため、サイゴンにあるカンボジア大使館前で自らガソリンをかぶります。

炎に包まれる中でも蓮華坐の姿勢を崩さなかったティック・クアン・ドック。この姿は世界中に放映されました。

ゴ・ディン・ジェム

この事態にインタビューを受けたゴ・ディン・ジェムの義妹、マダム・ヌーは、「単なる人間バーベキュー」「反米運動にアメリカ製ガソリンを使うのは矛盾している」などひどい発言をしました。

このことが追い打ちをかけ、世論と軍事クーデターによりゴ・ディン・ジェムは殺害されました。

ティック・クアン・ドック

その後、南ベトナムでは新しい指導者が入れ代わり立ち代わり就く混乱期に突入します。

迫害を受け続ける仏教徒たちを救うため、その後も多くの僧侶が同じように焼身自殺を図りました。

ティック・クアン・ドックをフエからサイゴンまで走らせた車は、フエのティエンムー寺に保管されています。フエ観光の際は、ティエンムー寺にも立ち寄ってみてください。

ヴォー・グエン・ザップ(1911~2013)

ヴォー・グエン・ザップ
画像参照:ウィキペディア

ヴォー・グエン・ザップは、フランス植民地解放からベトナム戦争まで深く関わった人物です。フランス植民地時代、ディエンビエンフーの戦いによりベトナムは解放されます。

ヴォー・グエン・ザップは最高司令官としてフランス軍の裏をかく戦術でインドシナ戦争を勝利へ導きました。

ヴォー・グエン・ザップ

抗仏運動からベトナム戦争集結まで最高司令官として戦い抜いた

ベトナム戦争時代には、北ベトナムの最高司令官となりアメリカ軍や南ベトナム軍との戦いを指揮しました。ヴォー・グエン・ザップの指導力は、ベトナムの再統一に向けて大きな原動力になったといわれています。

また、徹底した奇襲とゲリラ戦を貫いた近代随一の戦術家として、西側諸国からは「赤いナポレオン」と呼ばれ尊敬と畏怖を集めました。

その功績から、ホー・チン・ミン同様「ベトナム救国の英雄」として年齢問わず尊敬されています。南北統一後は、副首相と国防大臣に就任しました。

ヴォー・グエン・ザップ

第一線を引退後も、ベトナム政府の不正や賄賂問題を厳しく批判した

また、老齢により第一線を退いた後も、国会議員の汚職やベトナム政府の不快に対して説教的に公開書簡を送り続けました。

このことから「真の愛国者」「ザップの兄貴」という愛称で、ベトナムの若者に高い人気を集めています。

ヴォー・グエン・ザップ

102歳まで生きた近代ベトナム史最大の英雄2011年に満100歳を迎えたときは、記念行事が開催されました。その2年後の2013年、102歳で息を引き取ります。

ヴォー・グエン・ザップの葬儀は国葬で、ハノイ市で丸2日かけて行われました。政府関係者はもちろん、一般市民まで多くの弔問客が訪れたといわれています。

ベトナムの偉人有名人を知ると観光や街歩きもワンランク楽しくなる

ベトナムの偉人有名人ベスト10

ベトナムの偉人有名人は、現在のベトナムの礎を築いた人物といっても過言ではありません。中国やモンゴル、フランスなどいくども侵略されたベトナムには、どの時代にも英雄がいたんですね。

歴史上の人物を知っておくと、観光巡りも楽しくなります。また人名が付けられた通りもたくさんあるので、街歩きで探してみてください。

*記事内で「弊社催行ツアー」などと記載されてるものは現在では提供しておりません。TNKトラベルのツアーはすべて提携ツアー催行会社が提供しております。