ベトナムという国には、現在に至るまでに大きな戦争がいくつもありました。今の明るく元気なイメージとは異なり、近代のベトナムは他国からの干渉、侵略が多い国だったのです。
そこで今回は、植民地支配からの独立のために戦ったフランスとのインドシナ戦争、ベトナム全土の統一のために戦ったアメリカとのベトナム戦争、侵攻してきたカンボジア・中国を抑えるために戦ったカンボジア・ベトナム戦争、中越戦争を振り返ってみようと思います。
1945年〜1954年に起きたベトナムとフランスの戦い、インドシナ戦争
・1887年、フランスによるベトナムを含むインドシナ半島東部の植民地支配が開始
・1945年7月、支配からの独立を宣言するが、ポツダム宣言により独立できず
・1945年11月、ハイフォン港の銃撃戦をきっかけに、インドシナ戦争開始
・1954年、ディエンビエンフーの戦いでフランス軍を撤退させ、ベトナムの勝利となる
ベトナムの独立?
フランスは、第二次世界大戦前から、インドシナ半島東部の植民地支配をしていました。しかし第二次世界大戦中の1940年、フランスがドイツに占領されている際、日本によってインドシナ政府を解体されます。そしてベトナムは、独立宣言をしました。
しかしベトナムは、1945年7月のポツダム会議で、北緯17度以北に中軍、以南にイギリス軍が進駐することとなり、インドシナの独立を認められませんでした。
インドシナ戦争のきっかけ
フランスは、1945年2月、中国と協定を結び、中国を撤退させます。そしてフランスは、ベトナムに連合国としての独立の提案しますが、ベトナムは完全な独立を求め、話し合いは難航しました。
フランスは同年3月、進駐している地域の占領を宣言し、傀儡国家のコーチシナ共和国を樹立します。この行動にホー・チ・ミンらは猛抗議、交渉は決裂しました。
インドシナ戦争開始
インドシナ戦争は、1945年11月のハイフォン港銃撃事件をきっかけに開始しました。この戦争で、フランスは主にアメリカの支援を受け、ベトナムはソ連などの親しい国から援助を受けました。
フランス軍は、国内の重要な拠点を制圧し、ベトナム軍は農村・山岳地帯に逃げ、ゲリラ戦を展開します。そして、この戦争が終わるきっかけとなる戦いが訪れます。
ディエンビエンフーの戦いとベトナムの勝利
1954年5月のディエンビエンフーの戦いで、フランス軍は飛空場を占拠するため、空挺部隊をディエンビエンフーに降ろしました。そこにベトナム軍が包囲攻撃し、陥落させます。これにより、フランス軍は敗北、そして1954年にジュネーブ休戦協定成立され、インドシナ戦争はベトナムの勝利に終わります。
しかし、アメリカのアイゼンハウアー大統領は、ソ連の援助を受けていたベトナムからフランスが撤退したことで、アジアに共産主義が広がる可能性を恐れました。アメリカはこの可能性を抑えるため、次のベトナム戦争へ準備を開始します。
1955年〜1975年に起きた北ベトナムとアメリカの戦い、ベトナム戦争
・1954年、フランス軍撤退後、ベトナムの共産主義化を抑えるため、アメリカが戦争の準備を開始
・1964年、トンキン湾事件でアメリカがベトナムに軍事介入する
・1965年、アメリカ軍によるベトナムへの北爆を開始
・1973年、戦況の打開ができず、国内から反発が広まったアメリカは、パリ協定が調印され撤退、ベトナムの勝利
ベトナム戦争の準備
アメリカはベトナムに戦争を仕掛けるため、フランスが支配していた北緯17度以南の地域(南ベトナム)に親米の政権を樹立します。また、アメリカは1964年に、南ベトナムの軍事支援や政情回復のため、以北の地域(北ベトナム)への攻撃を開始します。
ベトナム戦の開始と戦況
ベトナム戦争は、1964年8月のトンキン湾事件でアメリカが軍事介入を本格化し、1965年2月の北爆を経て激しさを増していきました。
アメリカ軍率いる南ベトナムには、韓国やオーストラリアなどの資本主義国から支援を受けており、これに対して北ベトナムは、ソ連などの共産主義国から物資や軍事支援を受け、冷戦の代理戦争として、ますます激化していきました。
しかしアメリカ軍の空爆や北ベトナムのゲリラ戦は多くの犠牲者を出し、これを知った世界各地の人は、反戦運動を行いました。アメリカ国内では、軍を投下してから、何年もこの状況を打開できない政府への反発が広がっていったのです。
そしてアメリカ軍は1968年に北ベトナムの攻撃を受け、大打撃となります。1973年1月、パリ協定が調印されアメリカ軍は撤退し、2年後には南ベトナムが降伏をしました。これは、ベトナムの勝利であり、統一の機会となったのです。
この戦争でベトナム近隣の国々は、ベトナムの力を恐れはじめました。そしてこの力に対抗しようと、カンボジア・ベトナム戦争が始まります。
1975年〜1979年に起きたカンボジア・ベトナム戦争
・1975年、ベトナムからの侵略を恐れ、カンボジアからベトナムへ戦争開始
・1978年、ベトナムからカンボジアへ侵攻
・1979年、カンボジアの首都をベトナム軍が制圧し、カンボジア・ベトナム戦争に勝利する
カンボジア・ベトナム戦争が始まったきっかけ
1975年、隣国のカンボジアでは、中国からの支援を受け、ポル=ポト政権が樹立します。カンボジアは、アメリカという大国との戦いに勝利したベトナムが、このままインドシナを占領して、親ソ連の共産主義が拡大する可能性を危惧していました。
カンボジア・ベトナム戦争の戦況
カンボジア共産党のクメール・ルージュは、1975年5月にベトナムへの戦争を開始します。カンボジアは、特に大規模な攻撃を1977年4月に開始し、その他にも、ベトナム領の村人の大量虐殺を行いました。
この勢いに一度撤退したベトナム軍でしたが、1978年12月、カンボジアへの侵攻に踏み切りました。1979年1月になると、カンボジアの首都プノンペンを制圧し、そして親ソ連・ベトナムの政権を新しく樹立させます。ポル=ポトはジャングルに逃げ込み、戦争を長期化させ、中越戦争へと繋がっていきます。
1979年に起きたベトナムと中国の戦い、中越戦争
・1979年2月、中国が、制裁としてベトナムに侵攻開始
・1979年3月、ベトナムは、カンボジア・ベトナム戦争から戻ってきた戦力を武器に、中国を撃退する
中越戦争
中国は1979年、ベトナムのカンボジア侵攻に対し、制裁として2月にベトナムへ侵攻を始め、中越戦争が始まりました。お互いに大砲や戦車を用い、激しい戦いとなりました。
中国との圧倒的な兵力に、ベトナム軍は少しずつハノイへ後退していきます。しかし、カンボジアへ侵攻していたベトナム軍が戻ってくると戦況に変化が起き、段々と優勢となります。そして同年3月、ベトナム軍は中国軍撤退させ、勝利となりました。
こうしてベトナムの長く辛い戦争は終わりました。
戦争を乗り越えた後のベトナムは
中越戦争後のベトナム
ベトナム軍は中国の撤退後、樹立させた政権保護のため、カンボジアに駐在し続けます。また、1980年には、隣国のラオスとタイの争いに参戦し、タイへも侵攻をはじめます。
しかし国民の中には、これまでの戦争による多くの犠牲者や生活の苦しさから、共産党政権への批判を強める人や海外へ逃亡する難民まで出現しました。
今のベトナムになるまで
この社会不審は、経済力に大きな悪影響をもたらし、改革が必要となりました。そして1986年から現在に至るまで、社会主義の元、市場経済を導入するドイモイ政策が開始されました。
通貨の安定や食糧・物資の増産、輸出の拡大など、たくさんの課題をクリアしていき、2018年には7.1%とという、驚異的な経済成長率を叩き出しました。そしてベトナムは、今なお成長を続けているのです。
まとめ
いかがでしたでしょうか。今のベトナムからは想像しにくい血生臭い戦いがたくさんあったことを、この記事を読んで知っていただけたでしょうか。また、ベトナムにはこれらの戦争の記憶を見学できる史料館などがあるので、もっと知りたい人はぜひ調べてみてください。