ベトナムの国名の正式名称は、ベトナム社会主義共和国と言います。ベトナムは日本人に人気の観光地ですが、実は私たちの資本主義の考え方とは違う部分があるのです。
そこで今回は、ベトナムは社会主義国家としてどんな国なのかを調べていきます。ベトナムの詳しい情報については、外務省のサイトに載っていますので、ぜひご覧ください。
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社会主義ってなに?
まず初めに、社会主義について説明します。社会主義とは、国民で作り出した利益は国のものであり、これにより国民全員が平等になるという考え方です。資本主義の、自由競争の中で個人の利益を追求するという考え方とは反対にあたる考え方です。
社会主義はなぜ生まれたのか
社会主義の考えが生まれたきっかけは、資本主義の失敗があったからです。社会主義の考えが生まれる前の世界は、資本主義が主流でした。しかし資本主義の拡大は、雇用者と労働者の貧富の格差を生み出してしまいました。
そこで、ロシアのマルクスとエンゲルスは、作り出された利益を個人が持つのではなく、国が所有することで、国民全員が平等に恩恵を受けられるようにしようと考えます。この考えをもとに、20世紀初め、ロシア革命が起こり、社会主義が生まれました。
ベトナムが社会主義になったわけ
ベトナムが社会主義になったのには、資本主義国による植民地支配から独立するという、歴史的な背景があります。ベトナムは昔、資本主義国のフランスの植民地でした。ベトナムは、フランスの支配から独立するために、1946年にインドシナ戦争をはじめます。
この戦争に勝つために、国全体が団結する必要がありました。そこで、独立運動の主導者ホー・チ・ミン氏は、ベトナムの北側の地域を中心に、ソ連や中国から学んだ社会主義を浸透させました。
こうしてベトナムには、資本主義の反対の考えとなる社会主義が広まったのです。
ベトナムの社会主義の特徴
次に、ベトナムの政治体制や立法、行政、司法の三権と経済、その他の特徴について調べます。
ベトナムの政治体制
ベトナムは、一党独裁制をとっており、合法な政党は共産党のみとなっています。ベトナム共産党は、党中央委員会書記長、国家主席、首相、国会議長を国家の4つの柱としています。
ベトナムの立法機関
ベトナムの国会
ベトナムには、立法機関として国会があります。この国会は、1979年にハノイ市に設立されました。国会議長の主導の元、憲法制定権や立法権、そのほかには国家元首と首相を選出する権利を持っています。
また、ベトナムの国会議員の任期は5年で、定員の500名は選挙によって選ばれます。
ベトナムの行政機関
ベトナムの選挙制度
ベトナムでは、満18歳以上になると選挙権を獲得できます。また、ベトナムの選挙制度は中選挙区制を採用していて、全国を182の選挙区に分け、各地区から2〜3人の当選者を決めます。
ベトナムの司法機関
ベトナムの警察
ベトナムの警察には、緑色の服を着た公安と、黄色の服を着た交通の2種類があります。公安の警察はよく役所や重要文化財の入り口などにたち、強盗犯罪などの刑事事件を取り締まります。交通の警察は交通安全のため、道路交通違反の取り締まりをします。
ベトナムの裁判所
ベトナムの裁判制度は審級制を採用しています。また、裁判所には、最高人民裁判所、上級人民裁判所、省級人民裁判所、県級人民裁判所の4段階があります。
ベトナムの経済
ベトナムの経済体制
ベトナムの経済は、市場経済を導入しており、自由にものを売り買いができます。かつてベトナムは自由な商売ができませんでした。しかしベトナムは市場経済を導入することで、近年、経済が急成長しています。
しかしベトナムでは、投資についての規制があります。特に外資の規制が厳しくなっています。他にも、投資先の業種の制限、出資額や資本金についても規制があります。
ベトナムのその他の特徴
言論・思想の自由に制限がある
一党独裁制のため、公共の場での政府批判は厳しい制限があります。その他にも、出版物の検閲があったり、報道の自由が制限されることもあります。
外貨規制
ベトナムは外資の制限があります。また、中央銀行が市場に関与し、為替相場の安定を図っているため、外貨について規制が設けられています。
写真撮影の制限
1つ目は、寺院や教会などの観光スポットの撮影の制限です。基本的には撮影が可能ですが、フラッシュ撮影は禁止されています。また場所によっては、撮影自体が禁止されているものもあるので、注意が必要です。
2つ目は、政府の施設と、警察や軍関係者の撮影の禁止です。政府の施設は警備も厳しくなっていて、撮影が禁止されています。警察や軍の関係者の撮影も、スパイやテロ行為と間違われることがあるので、禁止です。
ベトナムの政治経済の歴史と変遷
1986年 ドイモイ政策 開始
ドイモイ政策とは、1986年の共産党大会で、社会的思想をから徐々に資本主義へ転換を目的として提唱されたスローガンです。
ドイモイ政策①社会主義路線の見直し
ベトナムは、1979年の中越戦争まで戦争を繰り返してきました。戦争が終わっても、近隣の反社会主義国と対立し、国民の生活は、厳しい社会主義の中で苦しんでいました。
そこで共産党は、社会主義の緩和を行うことで、市場経済の導入し、自由な経済を取り入れ、また国際社会への参加を進めることを目標にしました。
ドイモイ政策②市場経済の導入
かつてのベトナムの社会主義の元では、個人の私有財産を持つことができませんでした。しかし市場経済を取りれることで、私有財産を持つことが認められました。
ドイモイ政策③産業政策の見直し
もともとベトナムは、農産業において、特に米の輸入国でした。なぜなら農民は、今まで私有財産を持てなかったため、自分の農地を持っていなかったからです。
しかし市場経済が導入され、自分の農地を確保し、売る相手も選べるようになりました。そのおかげで1989年には、米の輸出国として世界第3位になるという、急成長を見せました。
ドイモイ政策④国際社会との協調
ベトナムは、1979年まで何度も戦争をしてきました。そしてベトナムは、カンボジア戦争やタイへ侵攻など、近隣の国と対立をしていました。そのため、ベトナムには国際社会と関わりがあまりなかったのです。
そこでベトナムは、外交政策の転換のために社会主義の緩和を行ったことで、1995年にASEANの加盟しました。ASEANに加盟したことで、ヒト・モノ・カネが自由に移動できるようになり、ベトナムはさらに成長していきました。
まとめ
ベトナムの社会主義は、コロナウイルスの感染を抑えている場面からもわかります。ベトナムではコロナがあまり流行していません。そこには、ベトナムの社会主義からくる、みんなで守るという意識があったからです。
いかがでしたでしょうか。ベトナムの社会主義がどのようなものか知っていただけたと思います。ベトナムに訪れる機会があれば、参考にしてみてください。
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