ベトナム戦争。みなさん一度は聞いたことのある名前ではないでしょうか。ベトナム戦争は、数ある紛争・戦争のなかでも歴史的転換期にあった戦争とされています。
理由のひとつは「資本主義の大国アメリカ合衆国」に勝ったから。第二次世界大戦後、この戦争を機に、世界的な流れには変化が訪れます。
1955年から1975年までの20年間、北と南に分断されて「同じ」国のひとで戦ったベトナム戦争は、戦後50年が経とうとしている今だからこそ再考されています。
今回は、死闘が繰り広げられた「クチトンネル」をご紹介します。
クチトンネルの日本語ガイドツアーのご予約はこちらをクリック!
クチトンネルとは
クチトンネルは、ベトナムの経済都市ホーチミンにあります。ホーチミンから車で約1時間半進んだ先にあるここには、かつて巨大な地下基地がありました。
カンボジア国境まで張り巡らされたトンネルの全長は、なんと200km!トンネル内では、数千の人々が暮らしていました。
クチトンネルは「地下の街」だった
トンネル、と聞くとただの道をイメージしがちですが、クチトンネルは違います。クチトンネルには、病院や集会所・人々が生活をする「家」がありました。
居住地や生活圏内のほかにはもちろん罠があり、敵兵であったアメリカ軍を一網打尽にすべく様々な策がこうじられていました。
クチトンネルの見どころ①「クチトンネル学習ビデオ」
小学校の社会科見学で見たような見学者用ビデオは、クチトンネルにもあります。筆者がここで見てほしい!絶対見てほしい!ポイントは「映像」。
クチトンネルが前線基地となったベトナム戦争は、いまからわずか50年前のこと。映像技術はすでにありました。クチトンネル見学コースで最初に見るビデオに出てくる映像はすべて、ベトナム戦争当時のものです。
激しい爆撃の衝撃で舞い上がる砂塵も、幼い兵士の横顔も、戦時でも休みをつくって踊りや歌に興じる様子も、すべては本物です。
50年前にここで起こったことそのままの映像を見ることができます。印象的だったのは、小さな子供も戦っていたこと。10代前半の子供たちもライフルをもって敵兵を狙っていました。
映像中ではクチトンネルの死闘と、戦った兵士たちひとりひとりの名前や性格趣味などの説明もあります。
「ライフルよりも筆を愛し、詩歌や絵画に胸をときめかせる少女でありました」「南ベトナム解放民族戦線の人々は戦いの合間にも歌や踊りを楽しみました」などのアナウンスまで、聞いてみてくださいね!
ちなみに、ビデオ鑑賞の場所は当時実際に「作戦会議」が行われた場所です。このビデオを見る前と後では、クチトンネルにいる感覚が違います。
クチトンネルの見どころ②「敵兵だった米軍から隠れるための穴」
ビデオを見たあとは、小さな穴の見学です。骨格のしっかりした男性は入れないくらいに小さな穴は、攻めてきた米軍から隠れるための穴。
いまも小柄なベトナムのひとたちは、戦争時はより小柄であったので、小さな穴に隠れることができました。武器を背負った大柄の西洋人は入ることができない大きさの穴です。
いまは見学用に幅が広げられていますが、それでも入るのはひと苦労……という大きさ。穴に入って蓋となる部分を持って写真を撮ることができます。
ご興味がある方はぜひ!どんな表情をするか、で個性が出るポイントですね!穴の近くには当時の戦車もあります。こちらの戦車とも写真を撮ることができるので、あわせて見てくださいね!
クチトンネルの見どころ③「足跡が逆につくサンダル」
絶望的な状況と圧倒的武力と戦わねばならぬとき、何が必要か。答えは「知恵」です。ベトコンたちは最先端の武器で攻めてくる米軍を知恵を使った「罠」で迎え撃ちました。
たとえば、足跡が逆につくサンダル。ジャングルの中を歩けば当然足跡がつきますよね。これを逆手にとったベトコンは、サンダルを改造して足跡が逆につくようにしました。
こうすると、実際に歩いた方向とは逆に足跡がついていくので、ベトコンの足跡を追う米軍は実際の方向とは真逆に進んでいきます。
サンダルの素材にもこだわりがあります。戦地に耐える丈夫なサンダルを作ろうとしたベトコンは、サンダルの素材をタイヤにしました。また、柔軟性のある「日本製」のタイヤが使われているところもポイントです。
クチトンネルの見どころ④「落とし穴」
サンダルのほかに代表的なのは「落とし穴」。ただの落とし穴ではありません。足を踏み入れたら八つ裂きになる落とし穴や、槍が両胸に突き刺さる落とし穴など。
少ない素材と兵力をつかってベトコンたちは最先端の武器ではない戦い方もしました。落とし穴に落ちたら最後、その兵士は叫び声をあげることしかできません。
容赦のない残酷さからは当時の緊迫した状況をうかがうことができます。
古典的と思うかもしれませんが、もしこれが木々の生い茂るジャングルのなか、落ち葉で覆われた地面に隠れていたら……。
長い戦いで疲れ果てた兵士たちは見つけることができたでしょうか……。こうした戦い方があったからこそ、戦争の早期終結を求めたアメリカは「枯葉剤」を使用したのかもしれません。
クチトンネルの見どころ⑤「通路用のトンネル」
人々は、ジャングルの下に掘られたトンネルを使って移動していました。今では限られた場所で見学が許されています。
このトンネルも隠れる穴と同じでなかなか幅が狭い。中腰での進行を余儀なくされるので、体格はもとより腰痛のある方はお気をつけください!トンネルの中はじんわり冷たくて、どよんと暗くて、なんともいえない雰囲気です。
ガイドさんについて1列で進まないと迷うことは確実。
蟻の巣のように張り巡らされたトンネルの地図が頭に入っていたベトコンのひとたちは自由自在に歩きまわったと思うと、筆者は複雑な気持ちになりました。
昼は明るく夜は星が美しい外は危険な場所で、昼でも夜でも暗いトンネルこそ安全な場所という矛盾。暮らしの場であったトンネルに敵兵をおびき寄せ、引き摺り込む戦法もあったと聞きます。
それは、はたして「暮らしの場」なのか。クチトンネルは暮らしと戦争が常に背中合わせにあった前線基地です。
クチトンネルの見どころ⑥「キャッサバ芋の試食」
戦争時の主食はキャッサバ芋でした。流行りのタピオカの原材料です!クチトンネルではキャッサバ芋の試食ができます。
砂糖とピーナッツをつけて食べるキャッサバ芋のお味は……少し苦くて、食感はパサパサしたジャガイモのよう。筆者は好きな味です。美味しかった!3個食べました。
でも、一緒に参加した女の子とほかの参加者のひとは渋い顔をしていたので、好みが分かれる味かもしれませんね……。私も毎日食べたいとは思いません。お腹が空いたら毎日これを食べるのはいやです……。
クチトンネルの見どころ⑦「ライフル体験コーナー」
各地戦争遺跡の名物となりつつあるライフル体験はクチトンネルでもできます。アメリカ軍の弾や旧ソ連軍の弾など、数種類の中から選ぶことができますし、弾のシェアも可能です。
このコーナーが近付くと鼓膜が破裂しそうな鋭い音がするので、すぐに分かると思います。私はこの音を聞いて、ここは戦地だったんだ、と思いました。
クチトンネルはベトナム戦争の遺跡。枯葉剤をまかれても圧倒的不利な状況でも諦めずに、独立を夢みて米軍に立ち向かったベトナムの誇りともされています。
実際に私が行った感想は、そこまで重苦しい戦争遺跡ではないということです。
散々に重苦しいことを書きましたが、今では木が生えていますし、普通に葉っぱもありますし、自然豊かなジャングルを歩いていると「ここで本当に戦争があったのか」という気持ちにすらなります。
そこに響くライフル体験の音を聞いてはじめて、私は背筋が凍る感覚を覚えました。ベトナム戦争当時の前線基地クチトンネルでは、昼夜問わず来る日も来る日も、こんな音が鳴り響いていたのでしょうか。
ライフル体験はなかなかできるものではありません!ご興味がある方はぜひぜひ体験してください!ライフル体験にご興味のない方は、心臓をつんざくような音と自然を眺めて当時を考えるのはいかがでしょうか?
おわりに
クチトンネルが近くなったとき。ガイドさんから枯葉剤についての説明がありました。ちょうどそのとき、ふとバスの窓から外を見た筆者は不自然なまでに等間隔で並んで生えた木々を見ました。
木々の幹には蛍光ピンクのテープが巻かれていました。同じような高さで等間隔に並ぶ木々が生えている場所にはかつて、枯葉剤がまかれました。あの木々が枯葉剤で更地になった場所に植えられた木々かは分かりません。
戦後50年が経とうとしているベトナムのクチトンネルは、何もいわれなければ分からないほど、のどかでおだやかな自然の美しい場所です。
人口の滝やあちこちに置かれた壺には鮮やかな花々が浮いているし、プールやホテルなどの複合施設もあるし。「死闘が繰り広げられた前線基地」とは、いわれなければ分からないと思います。だからこそ、観光客の感想は様々です。
戦争の悲惨さで涙が滲んだというひとがいれば、ライフル射撃に戦車やトンネル写真撮影を満喫した!というひともいます。この記事を読んだらぜひ!クチトンネルへ足を運んでくださいね!
どんな感想を抱くのか、筆者はとても興味があります。クチトンネルは日本語ツアーがあります!弊社でも勿論ツアーのご用意がありますので、お気軽にご相談くださいませ!