フエからベトナム戦争時代の国境地帯 DMZ(非武装地帯)ツアーに参加してきた。

どうも久保です。

ビンモックトンネルと久保- フエからベトナム戦争時代の国境地帯 DMZ(非武装地帯)ツアーに参加してきた。

チャック全閉めなのは寒さのせい

先日フエを訪れた際にDMZ(非武装地帯)と呼ばれる、ベトナム戦争(インドシナ戦争を含む)の際に南北の境界となっていた地域を周るツアーに参加してきました。

写真はそのDMZツアーで訪れたビンモックトンネルでの一枚です。
時折雨もパラつくようなあいにくの天候だったので、写真はどれもどんよりしてますが悪しからず。

DMZとは

ケサン基地のヘリコプター - フエからベトナム戦争時代の国境地帯 DMZ(非武装地帯)ツアーに参加してきた。

ケサン基地のヘリコプター

まずは簡単にDMZとは何かをご説明。上記にも書いてある通りですが、ベトナム戦争時代の南北の軍事境界線一帯を指します。

軍事境界線は、南北1600km以上に及ぶ現在ベトナムの国土において、ほぼ中間に位置するクアンチ省を通る北緯17度線に沿う形で東西に走っていた。軍事境界線の周囲には、南北に幅2kmずつ(計4km)の非武装中立地帯(ひぶそうちゅうりつちたい、DMZ; Demilitarized Zone)が設定されており、大部分はベンハイ川が境界となっていた。もっとも、ベトナム戦争の期間中、その付近の一隅は北ベトナム軍の統制下にあり、南ベトナム軍とアメリカ軍にとって悩みの種となっていた。なお、旧軍事境界線の主要都市としては、旧ベトナム王朝の王都であったフエ市が、境界線から約100kmほど南に位置している。

wikipediaより引用 – 軍事境界線 (ベトナム)

 

上記の軍事境界線が北緯17度に敷かれたことから、17度線ともよばれることもあります。
戦争の終結、つまり1976年の南北ベトナム統一の際に、この境界線も解消されました。

その後、DMZはベトナム戦争の悲惨さを伝え、その歴史と記憶を後世へと残すため、観光地として整備され現在へと至ります

DMZへの行き方

のどかな車窓からの風景- フエからベトナム戦争時代の国境地帯 DMZ(非武装地帯)ツアーに参加してきた。

現在はのどかな田舎町が点在している

DMZへの行き方ですが、基本的には久保が行ってきたように、フエから訪れるのが主流となっています。

その中でも大きく2パターンの行き方があるのでご紹介します。

ツアーでの行き方

もっともメジャーかつお得なのは英語のグループツアーです。
説明は英語になりますが、他の参加者も多くいるため料金的にかなり安く行くことができます。

デメリットとしては、参加者が多すぎると各スポットでの見学時間が短くなったり、そもそもの行程が短縮されていることもあります。

しかしTNKトラベルで扱っているDMZ英語ツアーは、少人数のグループツアーなので各見どころをじっくりとお楽しみいただけます。

DMZ少人数英語グループツアー予約ページ

そして日本語ガイドを付けてのDMZツアーを希望される方は、安心の貸切ツアーがおすすめです。
貸切のためお金はかかってきますが、英語ではなく日本語でのしっかりした説明を聞きたい方は要チェックです。

DMZ日本語ガイド貸切ツアー予約ページ

個人での行き方

専用車チャーターもおすすめ

そしてツアーではなく個人で行きたいという方は、フエからの専用車チャーターがおすすめです。
ガイドは付きませんが、自分のペースでゆっくりと周ることができ、料金もそこそこ安く抑えることができます。

人数や宿泊ホテルによって車の大きさが変わるため、基本的にカーチャーターは個別での見積りとなります。

専用車チャーター予約フォーム

また、フエからバイクを借りてDMZに行くという人もたまにいますが、万が一もあるので個人的にはおすすめできません。

DMZツアーの主要な訪問場所 – ツアーレポート

そしてここからは、先日参加してきた英語ツアーのレポートです。
主に行った場所の写真にはなりますが、何となくのイメージは伝わるかと思います。

この日はあいにくの天気でしたが、久保の同行者を含め参加人数は4名とかなり少なく移動も快適でした。

朝は7:00に宿泊ホテルにお迎えで、そこから初めの訪問場所へは約2時間。
道中はガイドさんが歴史の説明や、途中で通り過ぎる街についてなど色々とお話してくれました。

ロックパイル – DMZツアーの訪問場所

9号線から見えるロックパイル - フエからベトナム戦争時代の国境地帯 DMZ(非武装地帯)ツアーに参加してきた。

ぱっと見はただの山

ロックパイルは国道9号線沿いにある小高い丘で、1966年から1969年まで米軍が境界線付近の偵察拠点として使用していました。

かつてのロックパイル- フエからベトナム戦争時代の国境地帯 DMZ(非武装地帯)ツアーに参加してきた。

頂上にはヘリポートが

引用元:wikipedia – The Rockpile

久保撮影の写真では見えないですが、こんな感じで頂上にはヘリポートがあります。
ヘリコプターでしか頂上へ行くことができないため、非常に有効な偵察拠点として重宝されていました。

車で近くまで行くと時間がかかりすぎることと、近くで見ても頂上付近はあまり見えないので、国道9号線から見るこの距離がベストだそうです。

しかし実際にこの距離から射撃して、敵軍の通行を阻害していたと考えるとヒヤリとします。

ダクロン橋 – DMZツアーの訪問場所

ホーチミンルートへと繋がるダクロン橋- フエからベトナム戦争時代の国境地帯 DMZ(非武装地帯)ツアーに参加してきた。

何の変哲もない橋

次に訪れたのはベンハイ川にかかるダクロン橋。国道9号線からホーチミンルートへと繋がる橋で、現在かかっているのは修復されたものだそう。

ホーチミンルートは北ベトナム軍が、南部のベトミンの支援を行うために使われていた重要な補給路で、ダクロン橋を通りラオス、カンボジアを抜けてベトナム南部へと物資や人を運んでいました。

ダクロン橋から見るベンハイ川- フエからベトナム戦争時代の国境地帯 DMZ(非武装地帯)ツアーに参加してきた。

天気悪すぎて辛かった

戦時中は飲み水として使わせないよう毒が流されていたというベンハイ川。
天気は悪かったですが、今ではきれいな水が流れています。

ダクロン橋の周辺では明るく暮らす現地の人たち様子も見ることができ、平和というものを強く意識させられました。

ケサン基地 – DMZツアーの訪問場所

ケサン基地の塹壕 - フエからベトナム戦争時代の国境地帯 DMZ(非武装地帯)ツアーに参加してきた。

ケサン基地の塹壕

次に訪れたのはケサン基地。1968年の初めにこの基地を巡り、2か月以上にわたり戦いが繰り広げられた激戦地の一つです。
先ほど説明したホーチミンルートの破壊を目的に、アメリカ軍により作られたケサン基地は、北ベトナム軍にとっては大きな障害でした。

ケサン基地の輸送機 - フエからベトナム戦争時代の国境地帯 DMZ(非武装地帯)ツアーに参加してきた。

右端にいる人と比べると…

ケサンでの戦いで象徴的なのがアメリカ軍の敢行した「ナイアガラ作戦」です。
名前の通りの滝のような空爆、2か月で11万トンを超える爆弾を投下したと言われています。

強引な作戦を経て北ベトナム軍を撤退させたアメリカ軍ですが、この戦いからケサン基地を保つことが戦争自体の勝利には繋がらないことを悟り、結果として戦いの3か月後にはケサン基地を放棄しました。

ケサン基地の戦闘機の残骸 - フエからベトナム戦争時代の国境地帯 DMZ(非武装地帯)ツアーに参加してきた。

戦闘機の残骸

写真の通りケサン基地には多くの展示物があり、より視覚的に当時の様子を連想することができます。
敷地内にある博物館には、当時の戦争の様子をおさめた写真も複数展示されています。

お昼ご飯

DMZツアーの昼食レストラン- フエからベトナム戦争時代の国境地帯 DMZ(非武装地帯)ツアーに参加してきた。

ちょっとしたお土産も売ってました

13時を少し回ったくらいにランチに立ち寄りました。
普通に道沿いにポツンとレストランがあります。

昼食はツアー料金に含まれていないので、メニューから好きなものを選びその場で支払います。

DMZツアーの昼食 - フエからベトナム戦争時代の国境地帯 DMZ(非武装地帯)ツアーに参加してきた。

久保のお気に入り(節約)

久保が頼んだのはベトナムでよく見る卵焼き。
シンプルですがクセになる味。同行者の頼んだお魚も分けて頂きました。

飲みものを含め料金は2人で180,000ドンでした。約900円。
ベトナムに住んでる身としては、観光地価格で高いなぁと感じます。

エネルギーを補給して十分に休んだら、午後の部スタートです。

ヒエンルオン橋 – DMZツアーの訪問場所

南側から見るヒエンルオン橋 - フエからベトナム戦争時代の国境地帯 DMZ(非武装地帯)ツアーに参加してきた。

どことなく不思議な雰囲気がただよう

ここがまさに軍事境界線。ベンハイ川にかかるヒエンルオン橋、その橋の真ん中が南北の境界となっていました。境界線をはさんで鉄橋の南側が黄色、北側が青で塗られています。

ヒエンルオン橋の南北の境目、境界線 - フエからベトナム戦争時代の国境地帯 DMZ(非武装地帯)ツアーに参加してきた。

寒そうな久保@境界線

今となってみれば何の変哲もない橋ですが、当時それぞれの国民はこの橋を渡ることを許されませんでした。戦争が始まるまでは川をはさんだご近所さん、それがいきなり違う国の人間となってしまう。そんな残酷なことが実際に起こったのがこの場所。

ヒエンルオン橋の南側にある像 - フエからベトナム戦争時代の国境地帯 DMZ(非武装地帯)ツアーに参加してきた。

割とでかいです

橋の南側には大きな像があります。軍事境界線のせいで夫と離れ離れにされてしまった母子の像だそうです。川の対岸、橋を渡った北側には夫の像も建てられています。

ヒエンルオン橋の近くにある博物館 - フエからベトナム戦争時代の国境地帯 DMZ(非武装地帯)ツアーに参加してきた。

外観はいたって地味

そして橋の北側すぐの場所には博物館があり、当時の写真や実際に使われていた自転車、爆弾の残骸などが展示されています。この博物館に飾られた一枚の写真がとても印象的で心を動かされたので、訪れた際はぜひ探してみてください。

戦争が終わり、境界線がなくなった直後、2人の女性が再開を果たした瞬間をおさめた写真です。大きな写真なので、すぐに見つかると思います。

 

博物館の正面、道路をはさんだ向こう側には巨大な国旗が掲げられています。
このフラッグタワーは戦争当時からここにあり、北ベトナム軍(ベトナム民主共和国)の旗が掲げられていました。

元々は南側にもフラッグタワーがあったのですが、南北が一つの国となった今は取り壊されています。

ビンモックトンネル(ヴィンモックトンネル) – DMZツアーの訪問場所

ビンモックトンネル(ヴィンモックトンネル)のエントランス - フエからベトナム戦争時代の国境地帯 DMZ(非武装地帯)ツアーに参加してきた。

エントランスはこんな感じ

そして最後に訪れたのがビンモックトンネル。

ベトナム南部に作られたクチトンネルのように、アメリカ軍の激しい空爆から逃れるために築かれたトンネルです。

1965年から全て人力のみで掘り進められ、2年をかけて総長約2㎞のトンネルを完成させました。
このビンモックトンネルは、国境付近での戦いが沈静化する1972年まで使用され、その間9,000トンにも及ぶ爆弾が降り注ぎましたが、空爆による死者は0だったそうです。

現在は観光地として整備されており、安全に見学することができます。

ビンモックトンネル(ヴィンモックトンネル)の13番入り口 - フエからベトナム戦争時代の国境地帯 DMZ(非武装地帯)ツアーに参加してきた。

13番の入り口

出入り口は全部で13あり、地上に6つ海岸側に7つあります。
整備された現在は、それぞれに番号がふられています。

ビンモックトンネル(ヴィンモックトンネル)内部- フエからベトナム戦争時代の国境地帯 DMZ(非武装地帯)ツアーに参加してきた。

幅は狭いが高さは割とある

トンネル内は身長170㎝の久保でもギリギリ立って歩けるほどの高さがあり、15分ほどトンネル内を歩きましたがそこまで大変ではなかったです。クチトンネルを訪れた際は、腰をかがめないと移動できなかったので、ビンモックトンネルは観光客にも優しいトンネルだと思いました。笑

ビンモックトンネル(ヴィンモックトンネル)内の人形- フエからベトナム戦争時代の国境地帯 DMZ(非武装地帯)ツアーに参加してきた。

不意に現れる恐怖たるや

トンネル内には展示として、当時の人々の生活模様を再現した人形があるのですが、暗い中で予期せず遭遇して焦りました。他には写真を掲載しているエリアがあったり、トンネル自体を展示スペースとしてうまく使っています。

ビンモックトンネル(ヴィンモックトンネル)内の分娩室- フエからベトナム戦争時代の国境地帯 DMZ(非武装地帯)ツアーに参加してきた。

トンネル内の分娩室

出産用の部屋もありました。このトンネル内で17の命が生まれたそうです。
こんな過酷な環境でも、人々は強く生きていたのだということを感じました。

ヴィンモックトンネル(ビンモックトンネル)の海側出口 - フエからベトナム戦争時代の国境地帯 DMZ(非武装地帯)ツアーに参加してきた。

波は穏やかでした

しばらく歩くと海岸側の出口に到着。
この日は天気は悪く何とも言えない景色ですが、ろくに外に出ることができなかった当時の人たちは、この景色に癒されていたのかもなんて想像してしまいます。

また違う海岸側の入り口から地上へと戻り、ビンモックトンネルの見学も終了。
色んなことを感じ、ベトナムの見方がまた少し変わった一日でした。

まとめ

ロンフン教会 - フエからベトナム戦争時代の国境地帯 DMZ(非武装地帯)ツアーに参加してきた。

弾痕が大量に残るロンフン教会

今回はDMZ定番のスポットだけを紹介しましたが、紹介した以外にも多くの歴史的な名所や戦争の跡地があります。少人数のツアーや貸切ツアーでは、リクエストすればよりマイナーな見学スポットを訪れることも可能です。

英語ツアーに参加して感じたのは、やっぱり日本語の説明が欲しかったなぁということです。
紹介した通り日本語ツアーも取り扱っているので、DMZの訪問を考えている方は、ぜひ検討してみてみてください。

DMZ日本語ガイド貸切ツアー

それでは今回はこの辺りで。久保でした。

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*記事内で「弊社催行ツアー」などと記載されてるものは現在では提供しておりません。TNKトラベルのツアーはすべて提携ツアー催行会社が提供しております。