シンチャオ!皆さんこんにちは!
ハノイ現地ライターの園部です。
ハノイ旧市街は、ホアンキエム湖の北部に位置する一大商業地区。
ハノイに来たら必ず寄るべき観光スポットです。
今回は、旧市街を歩くのがもっと楽しくなる情報を紹介します。
地図をみてハノイ旧市街を探してみよう
上の地図を見てください。どのあたりが旧市街でしょう?
ハノイ旧市街は、歴代王朝の都があったタンロン城郭の東側に位置し、商業地区として繁栄してきました。
北門以外の城郭は、今は無くなってしまいましたので、地図上に昔の城郭を示してみました。
城郭の内部には、タンロン遺跡の他に、ホーチミン廟やフラッグタワーなどの、政治関係の建物があります。
そして、この城郭の東側、城下町にあたるのが、ハノイ旧市街です。オレンジに塗られた部分です。
ハノイ旧市街を囲っていた城塁も、昔はありましたが、後述する東河門以外、今は無くなってしましました。
ハノイ旧市街はこうして始まった
1010年、ハノイに都が置かれた李朝以降、朝廷に献上する品物を作るための職人たちが集められました。それが、現在の旧市街の始まりです。同じ職業を持つ人によって「坊」という同業組合が作られ、通りごとに同系統の商品を扱うようになしました。
通りの名前には、金属製品やお茶など、商品の名前が入ったものが多くあります。
これらは、商品、品物という意味の「Hàng(ハン)」で始まる通りであり、その後に、具体的な商品を指す語が続きます。
旧市街を歩いてみると、1つのエリアに同じ系列の商品が集中しているのを見つけられるでしょう。
そして、現在の旧市街に
15世紀には、中国からの移住民である華僑が住み始め、旧市街は一層賑やかな商業区となりました。
19世紀に始まるフランス統治時代、居住区の拡大のため、池や湖が埋め立てられます。通りの名前に「河口(Hà Khẩu)」や「江口(Giang Khẩu)」、「木の橋(Cầu Gỗ)」という、水に関する言葉が含まれていることがあり、その痕跡が残されています。
近年になってベトナム政府はこの地区を、歴史的建造物の保存地区と指定しています。1000年もの間、受け継がれてきたこの地は、今でもなお、活気ある商業地として、ハノイの心と魂になっています。
唯一残る城郭、「東河門(Dong Ha Mon)」
タンロン市街地を囲む城塁で唯一残っているのが、この東河門です。
フランス統治時代、市街地拡張のため、城壁や城門を破壊されますが、この東河門だけは記念として残されました。
この門は、別名、「クアンチュオン門(Quan Chuong)」と呼ばれており、チュオンという役人の名前に由来しています。
彼は、フランス軍の侵攻から命がけで阻止したとも、城門の管理を任されたとも、城門の近くに家があったともいわれています。
門の通称で呼ばれるくらい人物なので、この門と深く関わりがあり、人々からも好意的に思われていたことは確かでしょう。
真実は定かではありませんが、この門を守ろうとした男がいて、その姿は敵の目にもかっこいいものに映ったと考えると何だか、素敵な気分になりますね。
まとめ
ハノイ旧市街は、常に人々の活気と、バイクやシクロ等の喧騒にあふれています。歩いているだけで、ワクワクします。しかし、それだけではなく、ぜひ、歴史にも思いを馳せながら、奥深さを感じてみてください。
今回は簡単にハノイ旧市街の歴史と見どころを紹介させていただきました。
我々TNK&APTトラベルJAPANのハノイオフィスは、ご紹介した「東河門」のすぐ目の前にあります。
日本人スタッフが常駐しており、簡単な道案内やおすすめのお店の紹介、現地ツアーのご案内も行っております。
英語さえろくに通じないベトナム、日本人が対応してくれるというだけで安心かと思います。
お気軽に足をお運びください!
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