【理解が深まる!】ホーチミンの戦争証跡博物館の見どころと展示内容を徹底解説!ベトナム戦争の歴史を解説していきます。

はじめに

女性が好きな海外旅行先の定番は「韓国」「台湾」「ハワイ」に「グアム」です。ここ数年で、これらの定番観光地に負けず劣らずの人気を見せはじめた国があるのを知っていますか?

正解は、「ベトナム社会主義共和国」。

ベトナム……というと、近年までは「戦争」「枯葉剤」などのイメージが強かったように思います。ところがここ数年、戦争のイメージは残しつつも、ベトナム自体のイメージは変わってきているように筆者は感じます。イメージが変わってきている理由としては、経済発展であったり、LCCの運行であったり……様々な理由が考えられますよね。

女性から絶大な人気を得つつあるベトナム。イメージの変化は大切なものではありますが、忘れてはいけない事実がベトナムにはあります。今回は、1975年9月4日に開館された、戦争証跡博物館についてお伝えします。ベトナムの歴史の悲惨な面を後世に伝える博物館です。目を背けたくなる展示はいくつもあります。それでも、平和を考えるためにも、ホーチミンを代表する博物館の展示を追っていきましょう。

1:アジアで唯一!世界の博物館ベスト10に入っている「戦争証跡博物館」とは

戦争証跡博物館は、1975年9月4日に開館しました。ベトナム国内において2000万人以上が犠牲になったベトナム戦争を受け、「二度と戦争を繰り返してはいけない」という気持ちから設立されました。日本からも多額の支援が寄せられています。

三階建ての建物と広場と別棟、合わせて12のスペースに分けてベトナム戦争についての展示がされています。戦争証跡博物館は、なんとトリップアドバイザーが集計した「世界の博物館ベスト10」にも入っています!(博物館ベスト10には、ルーブル美術館やメトロポリタン博物館など一般の人も知っている有名美術館が入っていますよ。)

年間の入場者は約70万人。ベトナムにおいて最も来場者数の多い博物館です。ちなみに、世界の博物館ベスト10に入っている「アジア」の博物館は戦争証跡博物館だけです。アジアの経済的先進国の代表「日本」の東京にある博物館よりも、ある点において評価されているということです!

入場料は、1人4万ドン(約200円)です。チケットのほかに渡されるシールを胸に貼って入場します。

2:国を2つに分断したベトナム戦争とは

みなさんは、ベトナム戦争とはどのような戦争かご存じですか?ベトナム戦争は1955年11月1日から1975年4月30日まで行われた戦争です。悲惨な戦争は20年もの間、ベトナム全土で繰り返されていました。

ベトナム戦争の悲惨な点は、戦争の期間の長さだけではありません。この戦争は、ベトナムを北(ソ連・中国支援)と南(アメリカ支援)に分断しました。つまり、同じ「ベトナム人」同士で戦争になったということです。

歴史にあかるい方は知識にあるように、ベトナム戦争は社会主義と民主主義・ソ連とアメリカを背中にした代理戦争とされています。冷戦を頭にするベトナム戦争を発端として、世界は大規模な紛争の時代を迎えることとなりました。

また、ベトナム戦争は、世界の「警察国家」であり「超大国」アメリカの信頼と権威が揺らぎはじめた戦争としても挙げられます。現在では、戦争証跡博物館のほかにクチトンネルなどベトナム全土に戦争遺跡を残しています。

3:世界のベトナム反戦運動

ベトナム戦争は、世界中に波紋を生みました。アジアの小さな「貧しい」国を西洋の超大国で「豊かな」アメリカがいじめていると捉えた人もいます。戦争証跡博物館の一階部分展示番号10と三階部分展示番号1と2では、ベトナム戦争に反対した人々の資料が展示されています。

ベトナム戦争を世界中に広く伝えたのは、個人の写真家たちでした。日本を含めた世界中の写真家(戦争系のジャーナリストに限りません)は、いま起きている悲惨な争いを世界中に伝えようとシャッターを切り続けました。

展示の一角の壁一面には、ベトナム戦争を伝える途中で命を落とした写真家たちの名前が顔写真付きであります。十人や二十人ではありません。なかには、戦争証跡博物館の展示方法では敵国とされるアメリカの写真家もいます。

反戦運動についての詳しい実物資料や映像資料が見たい方は、ぜひ一階部分をくまなく確認してください。反戦を胸に書いた当時のゼッケン、書籍、写真などがあります。

4:ベトナム戦争反戦運動で活躍した日本人

戦争証跡博物館の展示番号10「ベトナムの抗米救国戦争(1954‐1975)をサポートした全世界のコーナーには、日本人の反戦活動家資料が多くあります。現在でも日本からの観光客が多いベトナムとは、戦争の当時もつながりをもっていたことがうかがえます。

日本でベトナム戦争反戦運動が広まりはじめたのは、1965年2月7日にアメリカ軍が開始したベトナム北部への空爆(北爆)がきっかけの一つです。軍人ではない、多くの一般市民が死亡した空爆(北爆)を知った日本人たちは、「ベトナムに平和を!市民連合」をスローガンにあげました。

筆者は、この空爆(北爆)は第二次世界大戦を経た日本人にとって「B29」や「原爆」を連想させたように思います。戦争は「軍人」だから殺していいわけではもちろんありませんが、一般市民が多く犠牲になった広島・長崎の原爆や地上戦沖縄戦を知っている日本人は、敏感に感じ取ったのではないでしょうか。

「ベトナムに平和を!市民連合」をかかげた神奈川県横浜市・相模原市の日本人は、ベトナムに物資を送るアメリカ軍の戦車輸送を阻止するなどの直接的行動にもうって出ました。ベトナム戦争反戦運動で活躍した日本人の代表としては、山崎博昭が挙げられます。

しかし、彼ら日本人のベトナム戦争反戦運動家たちの努力の一方で、日本の沖縄を基地としたアメリカ軍はベトナムに出撃を繰り返しました。ベトナム戦争は、世界で二番目に「原爆」の使用が検討された戦争です。世界で唯一の被爆国であった日本は、被爆国として、ベトナムを第二の被爆国にしないように活動をすすめていました。

5:ベトナム戦争の「枯葉剤」の影響

ベトナム戦争では、非人道的であり後世まで影響を残す「枯葉剤」が流布されました。森林を利用した北ベトナムとベトコンの戦法に苦戦したアメリカは、枯葉剤を流布することで見通しを良くしようとしたのです。枯葉剤には、人体に対して大きな傷を与える「ダイオキシン」が大量に含まれていました。

ヘリコプターや戦闘機で空から流布された枯葉剤は、地上にいた人も川も沼も木々も家畜もすべてを汚染しました。結果、枯葉剤の影響を受けた人々は皮膚病や奇形の悩みを背負わされることになりました。

直接浴びた人だけが影響を受けたわけではありません。汚染された沼だとは知らずに、沼の魚(ウナギやナマズ)を食べた人々や、汚染された土地だとは知らずに穀物を育てて食べた人々など、汚染された場所だと知らずに生活を続けた人は戦争後にも影響を受け続けました。

なかには、子供が奇形で生まれてから初めて自分が枯葉剤の影響を受けていたことを知った人もいます。1981年に生まれたベトちゃん・ドクちゃんは日本でも有名ですよね。彼ら以外にも、ベトナムには多くの奇形に悩む人がいます。三世代におよんで影響を与え続ける枯葉剤は、ベトナム戦争を終えて50年が経った今でもベトナム全土で8000万人を超える人々を苦しめ続けています。

ベトナム戦争で枯葉剤の影響を受けたのは、ベトナムの人だけではありません。派遣されていたアメリカ軍や韓国軍など他国の兵士たちも皮膚病や奇形などの影響を受けることになりました。枯葉剤の苦しみは戦争が終わっても人々を蝕み続けています。平和と幸せに向かおうとしているベトナムの底に潜み続けています。

枯葉剤は、原爆と同じように、二度と使用してはいけない武器ではないでしょうか。戦争に人道を求めること自体が矛盾していることは、筆者も自覚をしていますが、戦争証跡博物館の展示を見ると「非人道的な枯葉剤」の言葉の意味が深くまで伝わってきました。

枯葉剤の展示は、三階部分展示番号4にあります。目を背けたくなる写真ばかりです。筆者は見ていて涙が出そうになりました。胸も苦しく息をすることすら難しくなるほどに悲惨な写真ばかりです。それでも、事実を知るということは、この後の世界にとって必要なことだと思います。

6:博物館広場の戦闘機展示について

戦争証跡博物館には、戦闘機も展示されています。「US ARMY」「US AIR FORCE」と書かれた迷彩の戦闘機や戦車・ヘリコプターは一部マニアの方にも、マニアではない方にも人気があります。「強い」「恰好良い」「魅力的」なものとして目にうつる気持ちは理解できます。でも、忘れないでください。

その戦闘機は、先ほど説明したように、多くの命を奪ったものです。あえて「奪った」という言い方をします。広場の戦闘機と写真を撮るときには、博物館の展示内容を思い出してください。そして、なぜそれが展示されているのかも考えてもらえると筆者はとても嬉しいです。

おわりに

ベトナム戦争は、日本において、沖縄の地上戦や原爆になぞらえて捉えられることがあります。理由をはっきりということはできません。ただ、1945年に終戦を迎えた日本にとって、1955年からはじまったベトナム戦争は外の世界の話ではなかったように思います。

社会主義と民主主義が渦巻く世界に翻弄されるベトナムを救おうとした日本人活動家・世界中の活動家の運動を見るためにも、戦争証跡博物館は大切な存在です。このほかにも、ベトナム侵略戦争の捕虜制度の展示など、戦争証跡博物館は楽しい展示のある場所ではありません。

展示をすべて観終えるころには、鬱々とした気持ちになっていることと思います。それでも、筆者は、これを読んだみなさんには戦争証跡博物館へ足を運んでいただきたいと思います。「知る」ことはひとりひとりができる「守備」であり「武装」であり、最大の「進歩」だと考えるからです。

2018年のデータによると、日本を訪れるベトナム人観光客はとうとう38万人を超えました。ベトナムを訪れる日本人も82万人を突破しています!ベトナムの経済都市ホーチミンは現在、日系企業と官民一体地下鉄工事をすすめており、著しい経済発展は足を止める様子がありません。ベトナム・ホーチミンは、これからもっともっと輝く観光地になることと思います。

その発展の背景にあるものを知ってこそ、旅行にはさらなる価値が生まれます。遊ぶだけの旅行では物足りないようになりますよ!戦争証跡博物館や戦争遺跡クチトンネルへ、ぜひ足を運んでみてくださいね!

War Remnants Museum
Adress:28 Võ Văn Tần, Phường 6, Quận 3, Hồ Chí Minh 700000

また、「枯葉剤」の影響でご紹介した、ドクちゃんこと、グエン・ドク氏は現在でも精力的に枯葉剤被害者への支援、慈善活動に尽力されています。弊社でもコネクションがあり、ドク氏とのアポイントや、枯葉剤被害者の専門ケア施設「ツーズー病院」の視察手配を承っております。詳しくは下記お問い合わせフォームよりお問い合わせくださいませ。※ドク氏とのアポイント、ツーズー病院への訪問は少なくとも3ヶ月前にお問い合わせくださいませ。ベトナム政府への申請、許可が必要となります。

 

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*記事内で「弊社催行ツアー」などと記載されてるものは現在では提供しておりません。TNKトラベルのツアーはすべて提携ツアー催行会社が提供しております。