ベトナム戦争という戦争があったことを知っている方は多いと思いますが、原因や結果は知らない、という方も多いのではないでしょうか?
結論から言うと、南ベトナム(アメリカを始めとする資本主義国家が支援していた国)が、北ベトナム(ソ連を始めとする社会主義国家が支援していた国)に敗北するという形で終わります。
建前としては、北と南に分かれたベトナムの内戦ですが、事実上は第二次世界大戦後に生じた冷戦を背景にした代理戦争でした。
そして、強国アメリカが初めて他国に敗北した戦争です。今回はアメリカが負けた原因やその背景にあるものを調べてみました。
第二次世界大戦以前から大戦終了までのベトナム (1890年代後半〜1945年)
ベトナムはもともと、北、南と分かれている国ではなく、フランス領インドシナという一つのフランスの植民地となっていました。
そして、第二次世界大戦中に日本の同盟国であるドイツにフランスが敗北します。そのときに日本がフランス領インドシナに進駐(軍隊を目的の場所まで進軍させ、そこに留まらせること)します。これを仏印進駐と言います。
しかしながら、ベトナム人がそれをよしとするはずもありません。後の初代主席となり、共産主義であったホーチミンが独立を得るために抵抗運動を始めます。
そして1945年8月15日に日本の無条件降伏を受けて、枢軸国が連合国に敗北します。これに伴い、仏印進駐した日本軍勢力もベトナムから消滅します。
この混乱に乗じて、同年9月2日ホーチミンは自身を主席とした共産主義国家ベトナム民主共和国が誕生させます。
第一次インドシナ戦争 (1946年~1954年)
新たに始まったベトナム民主共和国ですが、かつての君主国であるフランスが君主国として舞い戻り、フランスの傀儡国家が成立してしまいます。
ここでさらにベトナムは北ベトナムと南ベトナムの二つの国家に分断されてしまいます。ホーチミンら北ベトナム(ベトナム民主共和国家側)は統一を維持するため、フランスと交渉を続けますが、決裂してしまいます。
こうしてベトナム統一をめぐる、第一次インドシナ戦争が始まりました。
この戦争は8年間続きましたが、多大な犠牲を払いながらも、1954年、北ベトナム(ベトナム民主共和国)が勝利を収めます。
このとき、ジュネーブ協定が制定され、緩やかに南北統一(南北統一政権を決めるための選挙)を進めるために、国連が北緯17度線を停戦ラインを設け、改めてベトナムを南北に分けました。
アメリカによる南ベトナムへの介入(1955年〜)
しかしながら、アメリカの介入などがあり、結果的に南北統一選挙は行われず、北は共産主義国家、南は資本主義国家という形になってしまいました。
南ベトナムが資本主義国家になった経緯は、当時アメリカとソビエト連邦をはじめとする国家間の冷戦が背後にあります。南ベトナムは資本主義国家から支援を受けゴ・ディン・ジエムが大統領となり南ベトナム共和国が成立してしまいます。
この南ベトナム共和国の政治は、ゴ・ディン・ジエムの独裁的で秘密警察や軍特殊部隊を設立し、共産主義者はもちろん、反政府分子を弾圧し、政府の主要なポストには自分の一族を登用するなど腐敗したものでした。
これを是正するために、南ベトナムに住んでいる共産主義支持者を中心に、反政府組織である南ベトナム開放民族戦線(ベトコン)が発足します。アメリカは、この南ベトナム開放民族戦線から南ベトナムを守ると言う名目で派兵を決定します。
なぜアメリカがここまで介入するかというと、当時のアメリカにはドミノ理論と言うものがあり、これは、ある国が共産化すると周りの国も連鎖的に共産化するという考えでした。
そして、トンキン湾事件(後にアメリカの捏造と判明)が起こります。ついに北ベトナムとアメリカの対立は決定的なものとなり、ベトナム戦争が始まります。
第二次インドシナ戦争(通称ベトナム戦争)(1965年~1975年)
こうして、アメリカと北ベトナムは戦争を開始しました。北ベトナム軍やベトコンが用いた、ゲリラ戦闘はジャングルを利用し、アメリカ軍を苦しめます。
そしてこの劣勢を打開するためにアメリカは都市部やジャングルへ無差別な大規模爆撃を行います。これを北爆と呼びます。度重なる爆撃を三年間続けますが、それでも北ベトナムの勢力は抵抗を続けます。
そしてついに、北ベトナム軍の奇襲的大規模攻勢(テト攻勢)によって、南ベトナムの首都であるサイゴンが陥落しかけます。
これにはアメリカも焦りを感じ、ついには、怪しいと思った農民をゲリラだと断定し、虐殺するといった事態も出現し始めました。
さらにアメリカは、枯葉剤といったゲリラの脅威を弱めるためにベトナムのジャングルを枯れさせる兵器を使用しました。しかし北ベトナムの勢力は一層激しさを増し抵抗し続けます。
これらの行為は報道カメラマンによって世界中に報道され、世界中から非難が殺到。アメリカ国内でもこの戦争を問題視する人々も現れ始めました。この影響もあって、アメリカ政府は南ベトナムへの軍事支援を縮小することを決定します。
世界各地の反戦運動を受け、当時のアメリカ大統領であるニクソン大統領は、共産主義で北ベトナムに介入していた中国に介入するのをやめるよう求めるために訪中します。これをニクソンショックといいます。
しかしニクソン大統領の訪中も功をなさず、最終的にアメリカはこの戦争にもはや意味はないということで考えがまとまり、ついに1973年にパリ平和協定を結び、アメリカはベトナムから撤退します。
アメリカが撤退したあと、北ベトナムは南ベトナムに攻撃を続けます。強力な後ろ盾をなくした南ベトナム政府の抵抗力はほとんどなく、ついに1975年、南ベトナムの首都サイゴンが陥落。翌年、北側がベトナム統一を成し遂げると言う形で戦争は終わりました。
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まとめ
ベトナム戦争終結から43年が経ちましたが、未だにベトナム各地に戦争の爪痕は残っています。
歴史を少しでも念頭に入れておけば、そういった場所に訪れた際、色々なことを考えさせられるのではないでしょうか。そして、願わくば今回の記事がその助けとなれば幸いです。
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