ベトナム戦争は、アメリカが初めて負けた戦争だと言われています。圧倒的な軍事力を誇るアメリカが負けるなんて意外に思われるかもしれません。
この記事では、ベトナム戦争において、ベトナム人がどうやってアメリカを撤退させたのかについて具体的に書いていきたいと思います。後半ではベトナム戦争に関する観光地についてご紹介します。
まずは簡単にベトナム戦争の歴史を振り返っていきましょう。
● ベトナム戦争は、1955年11月から1975年4月にかけて、インドシナ半島で起きた戦争です。
● 原因は、北ベトナムと南ベトナムの内戦でしたが、アメリカやソビエト・中国が参戦し、資本主義陣営VS社会主義陣営の代理戦争となりました。
● 北ベトナムの社会主義陣営が勝利し、アメリカは撤退しました。
● アメリカは、ハイテク戦争を仕掛けて、枯葉剤、ナパーム弾、ヘリコプターを活用しました。
● テト攻勢による犠牲者の増大やソンミ村虐殺事件を経て、反戦運動が盛り上がり、アメリカは撤退しました。
ざっとこんな流れになると思います。このことを踏まえて、以下アメリカの敗因について見てみましょう。
ベトナムの勝因、アメリカの敗因を考察してみましょう
① 北ベトナムの兵士の士気が高かったから
革命家のホー・チ・ミン率いる北ベトナムは、インドシナ戦争(1946年~1954年)で、多大な犠牲を払って、フランスに勝利したものの、1954年のジュネーブ協定で、ベトナムは南北二つの国に分断されてしまいます。戦争に勝ったにもかかわらず、国土の半分しか得られなかったことに、北ベトナムの人々は落胆します。でもだからこそ、「何としても祖国統一を果たそう」と強い愛国心を持って一致団結することが出来ました。兵士の士気が高く、アメリカの物量作戦に対しても、不屈の精神で向かっていけた要因です。
② 南ベトナムの兵士の士気は低かったから
南ベトナムは、言ってみれば、アメリカの傀儡国家でした。大統領に就任したゴ・ディン・ジエムは政府に反対する人々を厳しく弾圧し、自分たちは賄賂をもらうなどして贅沢に暮らすという独裁政治、もしくは腐敗政治をしていました。このため、南ベトナム国民には一致団結して国を守ろうといった愛国心などありませんでした。
③ 北ベトナムと協力した南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)の士気が高かったから
政府に反対する南ベトナムの人々は、反政府武装組織である南ベトナム解放民族戦線(通称ベトコン)を結成しました。家族や仲間を南ベトナム政府に投獄、拷問、殺されたりした恨みからベトコン兵士の士気は非常に高いものでした。ベトコンに目を付けた北ベトナムからの武器や弾薬の援助もあり、ベトコン兵士はしばしば士気の低い南ベトナム軍を破るようになりました。
その後、南ベトナム軍を援助するため、アメリカが南ベトナムに派兵しますが、そのアメリカの物量攻撃に対しても、ベトコンは「広大な」地下トンネルや徹底的なゲリラ戦(ヒットエンドラン戦法)を仕掛けることで、アメリカ軍を翻弄します。
④ 南ベトナム軍が腐敗していたから
南ベトナム軍は、アメリカからの潤沢な武器援助を受けて、戦力はベトコンや北ベトナム軍よりはるかに勝っていました。にもかかわらず、軍需物資の横流しが横行するなど、兵士のモラルや士気が非常に低く、北ベトナムやベトコンの兵士と戦うと、南ベトナム軍は確実に負けていました。
⑤ アメリカがカンボジア・ラオスを攻撃できないことを逆手に取ったから
ベトナム戦争中、北ベトナムはベトコンを支援するために「ホーチミンルート」と呼ばれる補給ルートを建設しました。このルートはほとんどが隣国であるカンボジアやラオスを通っていました。当然、アメリカとしてはこの補給ルートを絶とうと、爆撃による攻撃を仕掛けたいのですが、アメリカはこの二国への爆撃を禁じていました。
その理由は、当時中立を表明していたこの二国を攻撃すれば、戦争がエスカレートし、朝鮮戦争の時のように中国が参戦してくることを、アメリカが極度に恐れたためです。地上戦においてもそれは同じでした。このことを逆手に取ったベトコンや北ベトナム軍は、両国の南ベトナムとの国境地帯に軍事拠点を築き、アメリカや南ベトナム軍を攻撃した後、速やかに、カンボジアやラオス領に戻るという戦術を取るようになりました。
⑥ 長引く戦争と反戦運動の盛り上がり
トンキン湾というところで、アメリカの軍隊が北ベトナムの魚雷艇から攻撃を受けたことを口実に、アメリカは北ベトナムへの爆撃を開始しますが、北ベトナムは工業国ではなく、ほとんどが農村やジャングルだったこともあり、爆撃の効果はそれほどありませんでした。これがアメリカの誤算だったのです。
焦るアメリカ軍は、怪しいと思った農民などを捕まえては、訊問し、射殺しました。アメリカ軍による村の破壊が進むと、南ベトナムの農民は、ますますベトコンの側にまわっていき、戦争が泥沼化するなかで、テト攻勢、ソンミ村での虐殺事件などがアメリカ一般家庭のテレビで放映されることによって、アメリカ国内での反戦ムードが高まるのです。
アメリカ世論を受けて、アメリカ軍は次第にベトナムから撤退していき、弱体化した南ベトナム政府は、北ベトナム軍に敗北。1975年4月の首都サイゴンの陥落をもって、ベトナム戦争は北ベトナム(社会主義陣営側)の勝利で幕を閉じます。
ベトナム戦争に関するおすすめの観光地
現在は平和な国になり外国人観光客が年間1,000万人訪れるようになったベトナム。ホーチミン市内にはベトナム戦争に関するおすすめの観光地が多数あります。
① 戦争証跡博物館
ベトナム戦争の貴重な資料や傷跡が展示されている博物館です。館内には、枯葉剤で犠牲になった胎児や、戦争の悲惨さを物語る数多くの写真が展示されています。また、外では戦争で実際に使われた戦車や戦闘機が見られるほか、当時のものを忠実に再現した牢獄や処刑台なども見学できます。ベトナムで実際に起こった悲惨な傷跡を忘れないために多くの方が足を運んでいます。
入場料は15,000ドン(日本円で約80円)。5歳以下の子供は無料となります。
営業時間は午前は7時半~12時、午後は13時半~17時です。
日本語ガイド付きのツアー
② サイゴン中央郵便局
ホーチミンを代表する歴史的観光地のひとつです。現在は郵便局になっているので、入場料はかかりません。フランスに統治されていた歴史を持つベトナムを、建物から感じることができます。中央には土産物店もあるので、利用してみるのもおすすめです。
入場料:無料
営業時間は平日、土日によって変わります。
•月〜金 7時~19時
•土 7時~18時
•日 8時~19時
日本語ガイド付きのツアー
③ クチトンネル
最後におすすめするのは、ベトナム戦争中に、20年もの歳月をかけて作られた250キロにもわたるクチトンネル。ゲリラ戦の拠点として使用され、狭い穴の中には、べトコンの兵士が作った罠や落とし穴、爆弾、またそこに潜んでいた兵士たちの息遣いが感じられるようなスポットとなっています。トンネルの入り口は狭いので、汚れてもいいような服装で行くのがベターです。銃の実射体験ができるエリアもあります。
入場料:大人 90,000ドン(日本円で430円くらい)
営業時間:8時~17時
日本語ガイド付きのツアー
まとめ
いかがでしたか?ベトナムの歴史を知るためには、ベトナム戦争について知ることを避けて通れません。ベトナムの暗い歴史に触れることで、現在も枯葉剤の被害に苦しんでいる人々がいるという実情を知ると、ベトナムのことをまた違った視点で捉えることができるようになるでしょう。
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