こんにちは。
ハノイ発!!中国国境越え①-NO BORDER IN MY LIFE-から早3日。
続きを書こうと思います。
時刻は11:15分。
ついに中国の検問に差し掛かります。
バスを降りた場所からイミグレまでは歩いて約7分。
一般的にはこの緑の電気カーに乗ります。
料金は10,000VND(約40円)
只、弊社でバスをご購入された場合は下記の通行手形が付いてきます。
電気カーに乗ること3分くらい。
ぉおお!!遂にベトナム側の国境に。。
「いってきます!それ!ワープ」
えっ!!黄色!
はっ!!漢字!
そう中国に着いたわけです。時刻は11時30分
まとめると、
1.ベトナムにて出国手続き
2.出たら黄色の電気カーが待っているのでまた乗り込みます
3.中国の検問に着くので入国手続きを行う
孫氏曰く「彼を知り、己を知れば、百戦して危うからず」
要するに、中国に行く前に情報さえあれば何も怖くないという事です。
中国を知り、自分の現状をしれば簡単に陸路で国境を越えれちゃいます。
遂に当時の関所であった
友誼関(ゆうぎかん)(Tran Nam Quan )に到着です。
前漢時代に建てられた中国とベトナムの間の関所というわけです。
前漢って紀元前。。。
中国の武将、劉邦が項羽に勝利し皇帝になった時代ぐらいから建てられた事になります。
歴史的に考えるとすごくすごい。(言葉おかしいけどそれぐらいすごい!!
一番興奮するのは、当時の関所である場所に上る事ができるということ。
今は友誼関の上部は資料館になっています。
主にフランス軍とベトナム軍の戦争の様子が描かれていました。
歴史的大事件でぢうと1979年に中越戦争(第三次インドシナ戦争)が起き、約20万人の軍勢がベトナムに進行して国境付近の町ランソンを制圧。
国境付近には約56万人の中国軍。
迎え撃つはホーチミンさんの右腕と称されたヴォーグエンサップ将軍。
このときベトナム軍の主力はカンボジアとの戦いに向けてカンボジア集結。
約3万人の民兵しかいませんでした。
しかし、先の戦争でアメリカ軍に勝ったベトナム軍は戦利品である武器を沢山所持しています。
アメリア、ソ連、中国などなど。
当時最先端の武器がここに集結していたわけですです。
なんとなんと中国軍は1ヶ月で退却。
ベトナム軍恐るべし。。
これが、正確な国境のラインですね。
これをまたいで本格的に中国に入ったという実感がわいてきます。
ぅ。。さらなる関所。
これを潜ると中国語が飛び交っていました。タクシーもハノイ市内より古い。
次回は中国の国境付近の町”凭祥”に向かいます。
続きます。
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-ヴォー・グエン・サップ-
ベトナム人民軍の総指揮官で”赤いナポレオン”の異名を持つ。最終階級は大将。
ディエンビエンフーの戦いではフランス軍を撤退まで追いこみ、フランスの植民地からベトナムが脱出。ホー・チ・ミン国家主席と共に”ベトナム救国の英雄”として、ベトナム人に崇められている。
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